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ルーガルー人狼を探せのかんそう/最新の映画でクソ古い題材を扱ってやることが世代間ギャップだった

もう題名ですべてを言ってしまったので以下からは読む意味がない。ぼくも書く意味がない。

ぼくは見る映画にどんな少しでも内容ばれをされると許せないので、ジャン・レノのファンに対してだけ必要と思われる内容ばれを今から書く。

それはジャン・レノが痴呆の男を演じてるということだ。あの精悍なジャン・レノはもういないが、それはぼくがまだ半分しか見ていないからかも知れない。

簡単に人が異世界に行く方法として、魔法的・呪術的媒体をそこら辺にほっとくと光って振動が辺り一帯に起きて、主人公とかが避難を余儀なくされ、地上に上がると世界の概念が変わってるという手法があるというのは勉強になった。

だが……ぼくは映画の感想で何回言ったかわからんのだが、そして……うんざりするほどの罵声みてえな意見が飛び交うフェミニズムの世界に決して足を踏み入れなどしたくないのだが、それでもなぜここまで「自分が異様な世界に飛ばされて、知的に物事を解決しようとするのではなく、ヒステリックに泣きわめいて周りを攻撃する」要員として女の配役が使われるのだろうか?と言わずにはいられない。

それは主人公……?の奥のことだが、何やら弁護士でクソ頭が良さそうな割に短絡的だ。古代の兵士が自分をすっ転ばせてきたらそれを暴力だとし、女に暴力を振るうのはどうだのなんだの……と「それ、この場に必要?」な一連のそれを繰り広げる。

そして序盤、娘なのかなんなのかもうあちらさん独特の離婚して得た連れ子とかそういう各家庭を持つ視聴者への配慮がすさまじくて覚えきれないんだが、今からインスタでライブコマースをすると。だから親父(この親父が老けすぎててジャン・レノの子だというのがまったくわからん。だから母さんの死とか名前を忘れたとか痴呆になっちゃってる小技が使われてんのかもしんないけど)がおっぱじめようとするボードゲーで遊べないと。良いと思う。

もはや多様性だよねと。今のじじいばばあとはネイティブスマートフォン世代とは行動文脈が違うから、そういうクソ世代(もちろん、上の世代だ)はネイティブ~世代の行動様式を一切認めず、自分の低知能な行動文脈でのコミュニケーションしか認めようとしない。この冒頭のガキの娘が今からライブコマースでひと稼ぎしようとしてるから、せっかくの一族団欒の場だろうがなんだろうが、時間になったからインスタライブはじめまーっすw的な光景は、それ系の描写をしているようにも見えるし、クソ世代を刺激し、下の世代を馬鹿にしているようにも見える。

つまり最新の映画でクソ古い題材を扱って、すべての世代に議論をしろってことなのか。

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中村風景
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