グッドウィルハンティングは自己犠牲精神に溢れた外野が主人公だ
正確には、グッドウィルハンティングとはクソ虫野郎をなんとか闇から救い出そうとする、何の見返りもないのに愛を謳ってくれる悲しい人たちの歌である。クソ虫クソ虫うるさいと思うが、グッドウィルハンティング自体、タランティーノの映画の次くらいにFUCKFUCK言う映画なので許されたい。ヘッダ画像をお借りしています。
何から話せばいいのだろうか。この話は脇役のみんなこそ主人公である。ロビン・ウィリアムズであるショーンはもちろん、ショーンたちからゴリラと呼ばれバカにされるベン・アフレック、そしてゴリラ呼ばわりのひとりでもあるステラン・スカルスガルドであるプロフェッサー。
ぼくは最初、グッドモーニング・ベトナムを見たことがあるくせにこのプロフェッサーをロビン・ウィリアムズかと思ってしまった。最初は良い奴そうに見えて実際良い奴だが─────ショーンを貶す時はこの腐れプーチン顔がと思い、ロビン・ウィリアムズがこんな奴だったら嫌だと思ってしまった。果たしてロビン・ウィリアムズはぼくの中で主演といえるショーンだったので良かった。
これでマットデイモンが評価されたのであればそれはすごいのだろうが、奴はハーバード出でありその最中にこの話をベンと作ったという……自分が書いたなら演じるのは簡単だし、ハーバードと逆のことをすればよいだけである。ガキがガキを演じるのは楽勝であり、ロビン・ウィリアムズが評価されたことについて強く拍手したい。
それぐらいクソ以下のカスであるマットデイモンがショーンとゴリラに後方支援されて生きていくことを旅立ちと表しているのがこの映画なのだが、この支援ぶりが果てしない。特にショーンは傷つけられるだけ傷つけられた。ウィルハンティングがガキの頃に何も悪いことをしていないのに工具か鞭?だかベルトかでぶん殴られるのを選べと義父から言われ、甘んじて一番嫌がるだろう物を選び精神に問題ありと評価されたがっていた過去があろうとそれと同じように人を傷つけることをよしとしている時点でこいつはごみ以下の偽物である。
ショーンの献身ぶりを話すとそれだけで内容ばれになるのでしづらい。だが特筆すべき点としてこのゴリラことベン・アフレックも共同脚本らしいがだからあんま無駄に持ち上げたくはないしそもそもジーリとかでこいつうーわとか思ったしコンサルタントはタフのOTONみたいでおもろかったけどこいつのデビュー当時みたいなのか……って思ってたんだけどゴリラの独白はマジで最後のデカ支援だった。
なんなら最初の時点でウィルハンティングがその地頭を活かして自分と違う異なるまともな高給取りになろうとしたらぶっ殺してでも自分と同じ短命な土木作業員の道に引き戻す(これについてはぼくの中でも諸意見があるが)ようなウィルハンティングレベルのクソカス野郎だったんだろうに(実際酒場での態度を見てればウィルハンティング以下のごみ虫ではあった)、あろうことか最後一歩手前の出番においてこのゴリラはお前がいつまでも土木作業員をやってたら俺はお前をぶっ殺すと、お前のような宝籤を当てたくて必死に生きてる奴が死ぬほどい、俺もその一人なのにお前はそれを使おうとすらしない、その片鱗すら見せない、俺は親友として言うぜ(この時点でウィルハンティングがゴリラを親友と位置づけられていなかったんだから皮肉だ)、俺は毎朝このクソくだらない誰でもできる仕事場にお前を車で迎えに行く時、お前がその能力を活かして俺らみたいな底辺ごみ虫たちと決別した違う世界に行ってしまっており、俺のインターホンの呼びかけに答えられないことを楽しみに生きているのに、とまるで独白のように言う。
ベン・アフレックに見せ場を造った、まさに自作自演といえるのかもしれないがこれには掛け値なしで参った。共同脚本だとは思ってなかったから100%のちからで受け止めることができた。ジーリのときには得られなかったベン・アフレックに対する読後感である。
このかけがえのない思いはショーンのカウンセリングとともにウィルハンティングの肝である。いかにして僕らはクソ虫を支援したか?という題名に今からでも変えていいぐらいである。
そしていま気がついたが、最後のショーンは旅に出ることを決意し、プロフェッサーにもクソ虫にも伝えてはいたが、プロフェッサーを通じてクソ虫になにか同じようなサプライズごとを言おうとしていたのかも、と読み取れる。サノバビッチ、俺の台詞だぞ!と。
ずっと見捨てられることに怯えながらゴリラが生きていたと思うとより味わい深いことになる。それだけのために話を見返すのも楽しいだろう、といいますかこのゴリラ視点のスピンオフができるんじゃないか?ってぐらいの優遇ぶりだ。おそらくゴリラがウィルハンティングの才覚に気づいた瞬間は、「いつかおれはこいつに捨てられるんだ」という確信のような怯えがあったことだろう。しかしながらいつしか自分のために尽くしてくれるこいつを信頼し、許せるようになり、こいつの幸せについて考えた。そして上記のことを結論した。これはあきれるぐらいにゴリラ物語だ。