ジェミニマン・アイヒマン・スタンダード
映画を家で観るのは、暇つぶしとして最高なんだろうか?しかしながらその奇跡的な繋がり方を観ると、何か意味があるように思えてしまうことがあり今日はその体験について話します。ヘッダ画像をお借りしています。
ジェミニマンはウィル・スミスが主演ですね。この映画を選んだのは、彼の出る話は無難に良すぎて普段は避けがちだけど、たまにはいいかと思ったから。そう思うとぼくはウィルを恐ろしく信頼しており、だけど映画については決して安定を求めていない、火遊びしたいお年頃の女のような気持ちで向き合っているのだろうか?
だから決してウィル・スミスが嫌いなわけではない。彼の演技にはいつも感心させられる。しかし「ジェミニマン」を観て、特に驚いたのは、さらに述べる理由にも関連して、ウィル・スミスの若きクローンが登場するシーンだった。本物のウィルはこのあたりからおっさんとして描写されがちなため、ウィルが「シャフト」の頃のあの残忍極まりないサミュエル・L・ジャクソンに見えてしまう瞬間があった。多分ぼくはモーガン・フリーマン>デンゼル・ワシントン>マハーシャラ・アリ>ウィル>サミュあたりの順番で好きなのでしょう。
さらにウィルを見ていると、日本の芸能人「みなみかわスタンダード」に似ているように思えてしまった。アイヒマンスタンダードでしたっけ?
そして映画のストーリーが自分のクローンと戦うという点で、さらにぼくの心的状況、想像力をかき乱された。ウィルとみなみかわが似ていると思っていたら、ウィル自身のクローンが登場し、僕の頭はいきなり2層構造と対面することになった。もちろんそのクローンはみなみかわが演じてるわけじゃない。
しかしそれどころではなかった。以前観た「ザ・バンク 堕ちた巨像」で主役を務めたクライブ・オーウェンが、「ジェミニマン」では悪役として出演していたのだ。ザバンクのクライブ・オーウェンは2009の彼。ジェミニマンでの彼は2019年を生きていた。10年経って人はこんなに別人となるのか。
つまりクライブ・オーウェン自身が、ぼくにとってのジェミニマンとなった瞬間だった。この入れ子構造(ウィルのクローンの話がオーウェンのクローン的な包括性を持ってじわじわザバンクがジェミニマンを侵食し始める)がさらに2層構造(みなみかわ、ウィルの層とオーウェンの層)となって見える映画を抱き合わせで観たことは、まさに奇跡としか言いようがない。
そして、10年の時を経て(ぼくにとっては30時間ぐらいの間だが)2019年の「ジェミニマン」でクライブ・オーウェンを見た時、彼は痩せこけてルー大柴にそっくりに見え、まさか「バンク 堕ちた巨像」の彼だとは気づかなかった。似た感じの人はいるものだなあ、でも別人だよね。と。この体験がぼくの「ジェミニマン」視聴をさらに特別……といいますか特殊なものにした。良いのか悪いのか未だにわからない。この10年後の変貌ぶりが、さらにぼくが味わった体験をジェミニマン足らしめたのだ。
結局、安牌だからと選んだウィル・スミスの映画、そして偶然にもクライブ・オーウェンを再び見ることになったことで、映画観賞の新たな楽しみ方を発見した。クライブ・オーウェン自身のGeminiっぷりを目の当たりにし、彼の演技の幅の広さに改めて驚かされた。ザバンクのクライブの戦闘シーンとジェミニマンでのウィルの町中爆走シーンはどちらも比較できないほどすさまじい。このエッセイを通じて、映画がもたらす予期せぬ発見とそれに伴う喜びを共有できたら幸いだ。
そしてこのエッセイの題名を「ジェミニマン・スタンダード」と名付けみなみかわに捧げたい。