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踊りと死の関係を本寿院で学ぶ(上)

本寿院の僧侶の話を聞く機会があり死について考えました。ヘッダ画像をお借りしています。


先に説明すると別にぼくは宗教観とかここについて宣伝しようとか、なんかそれ系のそういうんではない。自発的に勝手にこのチャンネルについてUGCをここに置いているだけです。

そこで踊りについて語られていてなるほどと思った。踊りとは祭につらなる表現メディアであるような気がする。

本寿院とCMマーケについて考える

あと僧侶が俗っぽいムービー配信をするのはどうかみたいなことを思う人がいるかも知れないけど、流石に前時代的な考え方がすぎると思う(もしそんな人がいるのだとしたら)し、数週間このチャンネルと付き合ってみて(チャンネル登録してお知らせが必ず届くようにして、代替の新着ムービーは見ている)戒名をつけることについての意味を伝えるオウンドメディアとして運用してい、本寿院に戒名を頼んでもらうというコンバージョンを求めているのだと思う。

しかしながらそれも、相場の戒名代に比べると安いらしい。同業者から不当に安くしやがって市場を壊す気かみたいなことを言われてもおかしくないらしい。

ぼくがこのチャンネルと出会ったのはぼくが心底毛嫌いしているつべ広告である。

上記リンクではカスみたいな音を出し、何の罪もない視聴者の耳をつんざくという犯罪行為(意図的な迷惑行為とは犯罪だ)をしてアテンションを集めるクソ起業の例について提示したが、本寿院のCMは当該僧侶の語りのみで構成されており、ぼくはつべCMを確実に5秒でとばし、飛ばせないタイプのが来た時は画面を消し音を消すぐらい忌み嫌っているが、本寿院のCMについては全幅見てしまった。そして外部検索により(つべ検索が機能していないアホさを思うしかない。アルファベットという起業はつべをマーケティングの場として提供しているくせ、ユーザと出稿者を結びつける努力すらしていないのだ)当該チャンネルが本寿院であることを知った。そんな情報すらわかんないようなCMだったのだ。利益を求めているのか。

身振り=踊りとはメディアである

生き物の身振り手振りとはメディアである。

これはしょっちゅう言ってるけどメディア史だったかメディア論だかを学ぶと一瞬で腑に落ちる考え方である。

つまり手の形が例えばイッヌを表現したとしたらそれは動物を表現できるメディアだ。鶴を表現したのであればまた違うメディアとなる。それぞれの手の形とはそれぞれ違うメディアであり、それらを更に総合して大局的に見れば「手」とは動物を表現できるスクリーンなのだ。「足」とはまるで違うメディアである。

踊りについては多メディア的運用の可能性があることを言いたいのだが、それは明日に回しましょう。お読みくださりありがとうございました。

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