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還(かえ)ろうメタファー
騎士団長殺しの下巻を読み終わったため書いています。ヘッダ画像をお借りしています。前回
これは別に意図して記念碑的にそうしたかったわけではなく、昨日は単にめちゃくちゃ気分が悪くて本を読むしかなかった。
ぼくは最初騎士団長殺しを買う前に、そのサブ題名をなんじゃらほいと思ったことがあった。
だってまず団長を殺すのに、中世以外の話をどう想像するだろう?そこへして変わりゆくイデアだの移ろうメタファーだの言われても余計に想像がつかなく、とうとう作者が現代的な物語を書かなくなったのかな、「◯◯卿もご機嫌が良さそうでござる」みたいな欧州歴史みたいな内容なのかな、面白いだろうけどビビるだろうなと思ったものでした。実際、ござるより意味不明な口調の人が出てきたんだけど。
で結果的に全然違った。それまでの延長線上にある内容だったと思う。もし騎士団長殺しが街とその不確かな壁という題名でリリースされたとて、ぼくは自然に受け入れてしまったんじゃないだろうかと思う。
全部読み終わってマジでイデアとメタファーまみれな話なんだろうな、それがわかりづらいかもしれないからわざわざサブに書いたのかもと思えました。
そして上巻冒頭の意味もようやくわかったけど、別にその説明が一切されない理由もまたわかる……といいますか、上巻冒頭は思いっきり後日談なのがこの作者のいかれた才能だと思う。
ぼくらはこれまで、いや世界にかつて全部の物語が終わった後にのみ書かれ得るべき後日談がド頭に登場する話なんて存在して見聞したことがあっただろうか……?
恐ろしいのは後日談でありながら「プロローグ」と書かれている。かつてエピローグをプロローグと断じて始まった物語なんてこの世に存在しただろうか?それに気づいた時に打ち震えた。エピローグとプロローグは対だ。これについてはまた顔のない男について考える時に持ち越しましょう。
話を戻して、マジで比喩にすぎる。一番大きい比喩は絵の内容をマジで実現しちまったこと、そして自分と免色ですね。
といいますか柚とまりえの母さん(つまり自分の奥さんと免色の奥さんになるべきだった人)の対比だろうか。後者はまりえをメインにしたことで浮かびあがった。
対比って比べることですね。だから世間一般では忌避され得るべき行為だ。比べるとはなにか?数字だけで何かを評価することだ。人に優劣をつける。はっきり人を区別する、分断だからです。
だけどこと物語においては―――とはいえ比べるって社会における悪というレッテルがどうしてもぼくの中にはあるから脳死ではやりづらいんだけど――、誰も傷つかないといいますか物語は読んでる人の手を離れて勝手に傷ついていくから傍観するしかない。だから……対比を楽しむしかない。
免色は幸せなのかどうかわからない。ぼくは図らずも1巻を読んだ時点で免色のことばかり見ていて、絵の中の騎士団長は死ぬべきだったと結論した。
でマジでそれが起こるなんて思わないわけです。かつてつけた題名ですでに読んだ人をフィッシング詐欺みたいにしてしまっていないかどうか心配した。
クローゼットの前にいたのは誰だったんだろう?クローゼットは二重構造であり、二重構造とは対比が2つあることを指します。これは秋川まりえについて考えるトピックを建てた時に考えましょう。
……と書いて思ったんですけど、それが二重メタファーなのではないだろうか?二重メタファーとは害があるっぽいものらしい。悪意を持った生き物なのか?フォレスターの男がそうだったのか。
本来主人公は善な存在だろうけど、主役のメタファーがフォレスターなんだったらフォレスターは少なくとも主役にとっての害なはずだ……が別にそんなに害が見受けられない。
で思ったんだけど、柚子を妊娠させた夢にいた僕がフォレスター状態だったんじゃないだろうか。
フォレスターは僕のイデアであり、どこにでも行けるとする。なぜ僕からイデアが生まれたのか?雨田具彦にとってのドンナ・アンナが失われたように僕から柚子が失われたことによる?宮城県での行為により生まれたのか?
潜在意識とか抜かすとあまりに作者らしくないありきたり過ぎるから言いたくないんだけど、なんか知らないけどあるタイミングで夢の中で僕は柚子の胎内に精液をぶっ放さないといけなかった。帰結としては室が必要になったのだろうか。だってその結果産まれたのが室だ。室は何のメタファーなのだ?
室がなにかのメタファーなわけはない。室の「産まれ」という結果は、イデアやメタファーから脱した証でもあるのでしょう。でも強いて言えば小径のメタファーといえてしまうのだろうか。
室が小径のメタファーなんだったら室はもういない小径にとって悪しき存在になってしまう。けど小径はすでにいないから室にはその機能がないことになる。で別にぼくは室を悪者だとは思いたくないけど、小径の生まれ変わりとか言えるかも知れない。
するとフォレスターの中に小径がいたことになる。気持ち悪い言い方をすればフォレスターの精子の中にと言えるだろうか……
考えが行き過ぎたので話を物体的なものに戻すと、街とその不確かな壁は完全に廃盤となっている大本があり、作者のリファインがあって世界の終わりとハードボイルドワンダーランドとなって生まれ変わった。ハードボイルド・ワンダーランドはプロト不確かな壁のメタファーなのだろうか?
すると最新刊の方の不確かな壁はハードボイルド・ワンダーランドのメタファーということになり得るのだが流石に30~50年戦士ぐらいの経験を持つ作者がそれぐらいの期間を経て、たとえ「リファイン」したものであっても、新譜の方の不確かな壁は完全な生まれ変わりのようにも思える。小径の面影はなにもない、小径の意思も宿してはいない室のようにです。
小径と室を同時に存在させて、全く同じような育て方をしたら全く同じ見た目と中身になったかも知れない。生まれ変わりとはそれぐらいのことを意味する。3つの冊子においても。
その不確かな壁を読む前に、世界の終わりとハードボイルドワンダーランドを読み返すことはしないだろう。上記の通り完全な生まれ変わりだと思うから、先入観を排除するためです。
そして本当のファンであれば原型となったあれも読みたいのだろうがそこまでの執着がぼくにはない。そして上記の理由がある。だからさっさと買えばいいだけなんですけど。
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