納得しながらパルワールドで仲魔を造る を考える
昨日のコピペですがぼく自身はパルワで遊んでなくて、専ら見てるだけなんだけど普通にいつも書いているとおり箱庭ゲーが好きすぎて面白くて見てしまう。ヘッダ画像をお借りしています。
昨日は納得しながら自分以外の生き物を食ったり解体したり命を奪う理由とか納得性をぶち上げるのであれば、まさに人間世界に住む動物ならえんちゃうのみたいなことを考えました。それがアークとかだったのかもしれないし、だからポケモンはカニバリとかをしなかった。果たして中庸とはどこにあるのか。
ということを考える中でも更に自分が納得しておきたい成分がややあることに気がつく。それが昨日も書いた以下でした。
手懐け感(デジタル・手懐けによるBP低下)
人間を捕まえれることへの納得度
後者は日本語がややこいのでわざとら抜き言葉にした。ら抜き言葉を排斥する動きがあるのなら、ら抜き言葉に便益を付与すればいいだけのことである。
このように何らかの便益が得られるのであればパルワ内にあるそれも理解できようもの。まずは「手懐け感」について考えたい。
ドラクエでも敵をぶっ倒したら仲間になる。ただドラクエは敵が死んだことにはならない描写である。自分はぶっ殺されるのに……
つまり「敵テイマー」という業種になることで「敵やっつけ行為」がまんまテイム行為になる。仲間がぶっ倒して、自分はホイミぐらいしかしてなくても最後にぶちのめされた敵が確率で起き上がり、テイマれる(=懐く)。
ならこの納得感をパルワに適用すればいいだけの話なんだけど、パルワだと弱らせてスフィアを投げつけて敵を収納すると確率でスフィア内から出てこなければ仲間になる。たぶんレベルあげたり弱らせまくればより確実性が増すのでしょう。アリアハンのスライムはLv1でもテイムできるけど、ジャハンナのホークブリザードはLv3程度じゃどんなスフィア投げつけても無理っすよ、的な例えで通じるでしょうか。いきなりゲームを混ぜてしまったけど
スフィアから出てきちゃったらどうなっちゃうんでしたっけ?また投げれるんですかね。そのまま死ぬ?
なんといいますか、牧場物語とかルーンファクトリーみたいな「ブラシという道具を使ってこちらへの愛情度を上げる」ならわかるわけです。敵の心理としては「なんか妙な生き物が縄張り内に北!ころせーっ」というものが考えられるのだが、こちらが当該ブラシのような部品で撫でてやると「くっ殺せ……」じゃなくて「くっ悔しい……!なんでこいつ異質なのに、敵なのに、こんなに気持ちがよいというのか……!!」みたいな葛藤が敵(パル)の中に生まれてくる。
そこで……それなら別にスフィアをぶつける意味もそんなないと思うんだけど、一定のラインを越えるとパルが当時の目的から寝返る(=仲間になる)とかにすればいいんじゃないのとも思うんだけど、それこそ箱庭ゲーの(ぼくの中では)代表格であるElonaは、敵をぶん殴って弱らせて(ガチ目にHPバーをミリ単位どころか見えないぐらいの細い縦線にして)、当該敵に設定されているLv以上の店で売られているモンスターボールという道具をぶん投げると敵が収納される。
そして、モンボを使用して出てくるその敵は、まんまと別個体になっている。自我は?そのボールの中身とは、敵とはいえ一介の生き物をある空間の中に収納したら物理法則だの存在確率だのを左右できるほどの何らかの超越的な意志が支配しているのか?
そして当該意志によって一時的に支配されてしまい、人格どころかそれまでその生き物を生き物たらしめていた何もかもを再生成して排出するというこの異次元的な技術とはどのように供与されているのか?さっき俺が直接ボールをぶち当てた子はどこにいったのか?
ボールの中で素粒子だの分子だのみたいな度合いで分解され……(ここまだElonaの話ね)なぜそのような「セット」ができるのかは知らんがなぜ「同一種族」としてまるであらかじめ何者かの手によってインプットされた機械のようであるかのように店売りの単なる青いボールが再生成できるのか。
そして再生成された子はまるで自我を失った従順なメイドのように一生俺の後をついてくる、というラノベの題名みたいなことになるわけです。それがElonaの仲間の作り方であり、いま思えばなんと乱暴な
だけどフリーゲームでなんでもありな感じといいますか、極端に世界観をぶっ壊さなければ許される気がする。何よりも、これもまた次回述べたいけど文明が7回ぐらい滅びて8回ぐらい再生されててまーた再生成かよ!ってかんじなんスけどそれをパルワにも適用させればいいような……?気が……?するのだろうか。
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