禁断の魔術のかんそう
このような物言いをすると監督とか映画にたずさわった人々は褒め言葉とは受け取ってくれない気がしますが、東野圭吾の物語なら過不足なく映像化したらそりゃおもれーんだワな~~~みたいに思いました。ヘッダ画像をお借りしています。
ぼくは自分を東野圭吾の熱心なファンだとは思ってなくて、それでも湯川シリーズ(確かガリレオシリーズとかとは呼ばれてなかったはず。それはテレビバージョンだけだった気がする。このようにシリーズ名とかを特に知ろうとしていないため熱心なファンではないことがうかがえることでしょう)は代替読み終えた気がする。
あとはマスカレード・ホテル系でしたでしょうか。2020年以前の、町に活気があって衛生とかそこまで考えなくて良かった頃は、東野圭吾の本が200円以下とか投げ売られてたら即座に買ってたぐらいには興味を持って生きていた。
理系の脳に裏打ちされたような話の進み方は、特にサスペンスとか殺しとかが絶対ジャンルとして物語に含まれていなければならないとは思っていない、つまり当該ジャンルだけしか読まないような読者じゃないぼくでさえ非常に読み応えあるものとして捉えられた。
だから別にジャンルとかに囚われるべきではない領域にすでにいる人なんじゃないかと思う。東野圭吾をです。
で元々ぼくは日本の俳優で誰が出てるからその映画を見ようとかも思わないし、特定の俳優が好きでもじゃあその人が出てれば絶対に見ようとかは全く思いません。
これは邦画についての話であり、洋画ならモーガン・フリーマンが出ている映画は全部見たいみたいなところがあるけど、これはより好みといいますか理由が判然としているわけじゃなく納得できるように説明できない事象のため例外としておいておきます。
ともあれ何なら湯川が福山じゃなくてもいいし、もっと言えば歌を作る人が俳優をしなくていい、あるいは歌を作る人が構成する演技について特段魅力が付随されるとも思わない。だから湯川の役が草薙の北村一輝だろうと構わないし、むしろそっちバージョンも見たいぐらいだ。
とはいえ最近ぼくは映画を雑多に観ているため、ファブルみたいなアイドルが主役の映画の感想とかもレポりました。岡田は今でこそほとんど俳優業の人なのでしょうが、当初は歌い踊り愛嬌を振る舞わねばならないアイドルだった。
また50centとかクイーンラティファ(この人は以前から単純に好きだった)が主役の映画も躊躇いなく観ていて、それらも面白かった観てよかったと思えた。今回の禁断の魔術はたまったま本を読んでいなく、東野圭吾の世界を新鮮に受け入れられたのが良かった。
だからなぜ女刑事を必ずキャストしなければならないのかわからないし、湯川が妙なせりふをはいたり湯川がしなさそうな変な振り向き方をしてめがねを外したりする行動が悪目立ちしてならなかった。湯川と草薙のバディ(もっとも今回は疑いが生じるから単純なバディにもならないでしょうが)として造られても別に良かったんじゃないか。人件費も浮くだろう。
しかも今回は湯川が殺人未遂をして、それもそういうことをするやつを取り締まる唯一無二の公務員である草薙の目の前だったから驚かされた。単純に犯人が捕まったけど黒いのはまだいて、湯川がどんな活躍すんのかと思えば思いっきり刑法に照らし合わせれば悪役になる。だったらぽっと出の女よりも湯川の友達の草薙がメインでいいし、字幕の色も女につけるのではなく草薙につけるべきだったのが残念だった(草薙はモブと同じ白い字幕)。
でここまで書いて禁断の魔術は過去の映画をオンエアしたものだとばかり思っていたんですが、沈黙のパレードの番宣のために撮り下ろされたドラマだったことを知り驚きました。近年の映画マーケティングではそこまですんのか……と思わされた。
あとレールガンなんてゼイレン究極破壊兵器ウティマとかでしか聞いたことない用語で驚いた。
この記事が参加している募集
このサイト内ではいかなる場合でも返信行為をしていません。