私が精神障害者になったきっかけ。
どうも、はじめまして、石澤真紀です。初めての記事なので、まずは自己紹介をしたいと思います。
私は現在、双極性障害、不眠症、線維筋痛症、糖尿病、自律神経障害、更年期障害など、たくさんの病気を抱えて闘病生活を送っています。体の痛みや倦怠感が強く、外出は介助式車椅子の生活です。
夫は統合失調症を患っていて、私の看病と家事をこなしながら、音楽配信サービスでオリジナル作品を配信しているシンガーソングライターです。現在は神奈川県で生活保護と障害年金で暮らしています。
短大卒業後、福岡県にある広告代理店のコピーライターになった私は、深夜残業や徹夜もこなすバリバリのキャリアウーマンでした。もちろん疲れることもありましたが、仕事はやりがいがあり、週末には仕事仲間と飲みに行ったり、恋人とデートしたり、楽しい毎日を過ごしていました。
しかし、母親が癌で他界したり、恋人に裏切られたり、何度も上司が変わったり、仲の良かった仕事仲間が、結婚や妊娠を機に退職したり、いろいろな環境の変化が重なって、体調不良が目立つようになってきました。
夜なかなか眠れない、目が覚めても起き上がる気力がわかず遅刻が増える、カフェインの錠剤や栄養ドリンクを飲まないと仕事に集中できない、週末になると暴飲暴食してしまうなどです。
そして、駅で電車に飛び込みたい、アパートの4階の部屋から飛び降りたい、そんな衝動に駆られることが多くなり、さすがにヤバイと感じて、精神科クリニックに通院することに決めました。
診断結果は、うつ病(のちに双極性障害に変更)。睡眠薬と抗うつ薬を処方され、2週間に1度通院することになりました。
薬の効果で、よく眠れるようになり、原稿の締切に追われる日々を、なんとかこなせるようになりましたが、心に余裕はなく、毎日毎日綱渡りのような感覚でした。
そして、ついに運命の日がやってきます。
クライアントとの打ち合わせを終えて、会社に戻るバスの中で過呼吸を起こし、倒れてしまったのです。なんとかバスを降りて、精神科クリニックに駆け込みました。
待合室で泣き崩れると、先生が抱きかかえてソファーに座らせてくれました。そして、精神安定剤の注射を打ってもらい、診察の順番を待ちました。
「今日は仕事をしないで、すぐ家に帰ってください。強い睡眠薬を1回分出すので、それを飲んで、すぐ寝てください。そして、明日、目が覚めたら、必ず、また来ると約束してください」
先生の真剣な眼差しは、首を吊って死のうと考えている私の心を、見透かしているようでした。
とりあえず会社に戻り、事情を説明して、すぐに帰宅しました。
そして、姉に「たくさん仕事が入って、休日出勤しないと間に合わないので、お彼岸に、お母さんのお墓参りに帰れなくなった」と泣きながら電話しました。その後、すぐに処方された強力な睡眠薬(ベゲタミンA)を飲み、布団に倒れ込みました。
翌朝、玄関のドアをノックする音で目を覚まし、ドアを開けると、姉が立っていました。
クリニックに一緒に行くと「心配なので、これ以上、1人暮らしをさせることはできない。今日、自分の家に連れて帰るので、会社に提出する診断書を書いてください」と切り出しました。私は内心ほっとしました。やっと、地獄のような日々から逃げられると……。
会社に行って、上司と社長と話し合い、とりあえず1ヶ月ほど、休職することが決まりました。上司や部下に仕事を引き継ぎ、ロッカーや机の私物をバッグに詰めて、会社を出ました。
この日が、私のコピーライター人生最後の日になるとも知らずに……。
次回は、会社を休職した私を経済的に助けてくれた「傷病手当金」について書きます。お楽しみに!