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誰だってもう傷つきたくはない

先日、とても悪意ある人に出会ってしまった。
画面の向こう側の人にこれだけの悪意ある言葉を向けられたのははじめてだと思う。

なぜだろうか。きっと私のやり方に納得がいってなかった事が原因だろうとは思うけれども、明らかに馬鹿にしているとわかる言葉で罵る必要があったのだろうか。

それは短いながらも、突き刺さる。
感じ方は人それぞれなんだろうけど、初めから、トゲを感じていて嫌な雰囲気漂う一言だった。

やりとりをしていくうちに、それは確信に変わった。
「あ、この人には敵意がある」

隠そうともせず、皮肉のたっぷり詰まった言葉、あなたはそんなに偉いのだろうか、それをそのままぶつけるなんて、、、。(私にはできない芸当)

噂には聞いていた。そんな人もいること。
いざ自分がくらってみると、やはり、傷つく。痛い。
目を背けたくなるほどの嫌悪感。


やっぱり、痛いんだよ。
どんな些細な言葉でも、刃を突きつけられたら。

きっと、その人は、その言い方や伝え方が日常なのだろう。
なんだか使い慣れてる感。相手を蔑むことに慣れているというか、そこに迷いがない、悪意というか皮肉というか。
例えば異世界転生漫画だとしたら、生粋の悪役令嬢のような。

私が傷ついてるなんて、微塵も思わないんだろうなと。
もう見るのみ嫌で、心がゾワゾワして、胃が痛くて、食欲も消え失せて、、みたいな状態にすぐなる人のことなんて、想像もできないのだろうなと。

私も、前よりは少し、客観的には見れるようになった気がする、こんな状況を。
あぁ、やられてるなぁとひしひし感じる胸の痛みを抑えながらも。


ストレスにめっぽう弱くて、すぐ身体に影響が出る。全身でこの状況が嫌だとSOSを発してるみたいに、モヤモヤ、ゾワゾワと落ち着かなくなる。

前までの私なら、それでも、素直に要求に従っていただろう。
穏便に、事を荒立てずに、多少のモヤモヤは残ってしまうけどそれでも相手がしたい通りにすれば、それで済むと。

でも、今回は、ちょっと違った。

ほんの少しだけれども、抗ってみようと。
痛いんだと傷つくんだと少しでも伝えてみようと。

今まで伝えずに傷ついてきた自分を顧みて、今回は少しでも軽くしたいなと。わかってもらえないかもしれないけれど、自分を蔑ろにはしたくないと。


そうすることは、あまり得意ではない。
自分の感情を露わに、相手のことを何も考えずに伝えるのは苦手だ。
言葉よりも先に涙になってしまうから、涙を抑えるのが精一杯。

それが嫌な感情なら尚更のこと。
いつも自分が我慢して何も言わずにいたら、それで過ぎ去ってくれるならそれでいいと思って、行動してたんだもの。黙っていれば時は過ぎると。。

それと反対のことをする。
それもまた、痛みは伴うもの。傷ついた痛みとは別の、怖いものに立ち向かうような恐れに似た圧力的な痛み。

だから、考えた。
想定し得るパターンを一通り。
これをやったらどうなるか、やらなかったらどうなるか、最悪のパターンはどうなるか。
それぞれのメリットやデメリットを書き出してみたりして(笑)
言語にして整理すると、心も整理され、答えは出るような気がする。

瞬発的に行動できない人にとっては、思考は武器になる。
考えに考えて、どれが一番、自分に負担が少ないか。ストレス具合を最小限で抑えられるのか。


まずは、言い争うつもりはなかった。
言っても無駄なタイプという人もいる。丁寧な言葉で注意深く問いかけても、聞く耳を持っていなければ伝わらない。伝わりそうにもないのはやり取りでわかっていた。

次に、一刻も早く解決したかった。
これ以上長引かせたら、傷が増えるばかり。何されるかもわからいストレス抱え込んで日々怯えながら過ごすのは、ごめんだ。できるだけ短期決戦で。


ということで、”関わらない”という選択をした。
相手には少々失礼だったかもしない。けれども、その人も十分失礼だった。
だとしたら、痛み分けでもいいだろうと。

あまり人を傷つけたくはないと思ってきたけれども、自分を守るために戦わなければならない時もある。悪意ある相手まで庇ってあげる必要はない。

生きていく上では、自分優先でいい。
自分に優しくなければ、これから現れる誰かに優しくすることもできない。

自分に優しくするって、そういうことなのかとわかってきた気がする。
優しくしてくれた人に優しくする、それでいいのだと。

傷ついた自分もわかって受け入れること。
友人や大切な人にするように接してあげること。

大切な人が同じように苦しんでいたらどうしてあげる?
どうしてあげたい?

その行動を考えて、自分にも置き換えてしてあげること。
自分に優しくするってそういうこと。

きっと私が友人なら、一緒にあれやこれやどうするか作戦を立ててさっさと終わらせて、美味しいものでも食べよ?って言うと思ったから、そうしてみた。


多少の罪悪感はあったけれども、長引くことはなく、モヤモヤは消えたようだ。

最後にまたひどい言葉を浴びせられたけれども、想定内だった。
そう、逆上するんだろうなと、俯瞰で眺めることができたから、不意打ちのダメージは喰らわずに済んだ。

これでいい。この問題が片付いたことに安堵した。
最後にその言葉をそのままお返ししたいと思ってしまったけれども(笑)そこはもう関わらずに、そっと画面を閉じて、お終いに。
逃げるが勝ち!の精神で。


自分を傷つけた人でさえ、傷つけるとわかっていることをすることは少々躊躇する。
でもそれでいつも自分は傷ついてきた。

そんな傷に気づいて、慰めてくれた人はいただろうか。庇った相手は素知らぬ顔で飄々と生きている。

だとしたら、関わらずにいられるならそれがいい。
誰だって、もう傷つきたくはない。


目には目を、歯には歯を。

それがあなたのしてきたことだと分からせるためには、相手だって同じ経験をしなければわからないのかもしれない。慮れる心があれば、最初から嫌なことはしないはずだし。
それが相手にとって嫌なことなんだよ、とわからせる事もその人には必要なことかもしれない。

捉え方によっては、それを教えてあげることは、また優しさなのかもしれない。
見て見ぬふりをするのではなく、それはダメだよと教えてあげること、そんな優しさ。


何も言えない自分もいたけれど、言える自分もいる。
過去の経験から、奥に押しやってしまった感情も自分の感情に違いない。
少しずつ、身についてしまった自虐的とも捉えられる行動の癖を、感じて、気づいて、直していけたらいいなと思う。



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