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ゲームを作りたいけど、ゲームが作りたいわけではない?

私はまれに
フリーのゲームを
個人で作ることが
あるんですけれど

なんだか

ノベルゲーム
もしくは

イベント一切なしの
マップを歩き回るだけの
ゲームなら

ちょっと
作ろうかなという気に
なるんですけれど

他の形式だと
本当にやる気が
出ないんですよね……(笑)

何故だか
わからないんですけれど
興味のムラが激しく。

もしかしたら
ゲーム性のあるゲームには
興味がないのかも……。


もはや

かろうじて
形式がゲームな
だけであって

中身は
ゲームではない

みたいなことに
なっていますね(笑)


でも そういう

「ゲームという枠の中で
   自分の思い浮かべている
   ものを表現したい」という
“表現したいもの”にこだわる派

(場合によっては、ゲーム以外の形式──
   絵、漫画、小説、楽曲など──
   を選んでいた可能性もあった)

「自分で攻略するのが面白い
   ゲームらしいゲームという
   ものを作りたい」という
“ゲーム”の部分にこだわる派

(ゲーム以外の形式を
   選んでいた可能性はほぼなかった)

というのが
ある気がするん
ですよね。

同じ
「ゲーム制作者」
と言っても

果たしてそれで
一括りにして
いいのだろうかと

疑問を覚えるくらい
根本が違う気がします。

もちろん
両方の混合タイプもいると思います。
というかそちらの方が多いのかもしれません。
(表現したいものを表現しようとするかたわら、
   どうやってゲームらしい楽しさを出そうかとも
   考えている というような)


最初のほうで

ゲーム性のある
ゲームには
興味がないのかも……

と述べたとおり
わたしは完全に
表現したいもの派で


言葉上は
「ゲームを作る」と
言うものの

ゲームを
ゲームたらしめる
ゲームらしさ

つまり

ゲーム性や
ゲームならではの
システム

というものには
全くこだわりがないなあ……
と思いました。


何なら ゲームを
自分の手でプレイせずに
プレイ動画を見るだけでも
成立するような

そんなゲームが
作りたいと
思っています。

ゲームの部分派の
作るゲームが
「実用品」だとしたら

表現したいもの派の
作るゲームは
「鑑賞品」といった
ところでしょうか。

どちらも
求めている人は
いますし

正解・不正解とか
正道・邪道などは
ないと思うのですが

ただ、お互いに
ゲームの使いかたや
ゲームに求めるものが
違いますので

相手の作るものや
こだわるものを
見ていると

自然と疑問を覚えたり
突っこみたくなったり
してしまうのかも
しれませんね。

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