じぶんの人生に集中する
50年以上も生きてきたら、いろいろなところにガタがくる。
「電化製品だって50年も使ってたら、ボロボロでしょ。わたしたち50年以上も肉体を使ってきたんだから、すごいことだよね」学生時代からの友だちとの会話である。
ん?50年以上持つ電化製品ってあるのか?の疑問は横に置いておいて。
江戸時代の寿命は32~44歳といわれているから、50代というのはおまけの人生、貴重な時間なんだなぁ。
時代ごとの平均寿命、こちらのサイトがわかりやすかったです。
たしかに、20代のころのようにキビキビとカラダが動かない。遠出した日の次の日は、カラダのあちこちが痛くて、その痛みがなんにちも消えなかったりもする。反応も鈍くなっている。
けれど、こころはどうだろう。
50代の今の方が、断然すごしやすい。
できないことをできるようにしていく、覚えていく、その過程で失敗したり、傷ついて痛みを乗り越えていく、人生の前半戦よりも。
長い間うつ気味だったから、つらかった記憶も多いけれど、子どもを産み、育てる経験はこころの糧になって、最大の愛情の学びになりました。
つらい気持ちを解消しようと、こころの学び、魂の学びに取り組んだことはよかった。きっと、その経験が、わたしの今生での「生きるテーマ」のひとつなんだと思う。
それから、じぶんの取り扱い方がわかってきたからでもあると思う。
なにが嫌いで、なにが好きか。
苦手な人がいたら逃げることだってできる。
じぶんはこう思うって、気持ちを伝えることができる。
これらのことができなかった。もっとできないこともあったよね。
どんなじぶんがいてもいいって、じぶんに許可できる。大切にできる。あ、自己肯定感も持てるようになったね。
自己肯定感が低かったからこそ、じぶんのことをわかろうと行動したから、それもまたいいことだよね。
繊細で傷つきやすい気質を持っていることを知ったのもよかった。
どんなじぶんが存在してもいいんだ。
今まで生きてくるのに必要だった思い込みは捨てて。
「わたしなんかが、できるはずない」そう思って、あきらめてきたことをやってあげるときが来たんだ。
じぶんの気持ちよりもまわりの人の気持ちを優先してきてしまったけれど、
これからはじぶんの人生に集中していこうと思う。
★じぶんの人生に集中してる?
今日もありがとう