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小説と芝居についてAudible版/井上ひさし(1988/11/02⇒2015/12/23)【読書ノート】

  1. 父帰り、みな家出する。

    • 菊池寛の戯曲『父帰る』を題材に、家族の絆や人間関係の複雑さについて考察しています。

  2. 作者と客の違った関係

    • 小説家と読者、劇作家と観客の関係性の違いを分析し、それぞれの特性や魅力を解説しています。

  3. 見習い女中パミラ ~世界初の小説~

    • 世界初の小説とされるサミュエル・リチャードソンの『パミラ』を紹介し、小説の起源や発展について語っています。

  4. 桟敷群像

    • 劇場の桟敷席に集う多様な観客たちの様子を描写し、演劇が社会に与える影響や役割を考察しています。

  5. 二度と会えない向こうの人よ!

    • 演劇における役者と観客の一期一会の関係性や、その瞬間の尊さについて述べています。

  6. 観客が走り飛び乗る終電車

    • 観客が終演後に急いで終電車に乗る様子を通じて、日常生活と演劇の関わりや、観劇体験の余韻について語っています。

井上氏は、これらのテーマを通じて、小説と演劇の違いや共通点、各々の魅力、そして創作に対する自身の哲学を熱く語っています。彼の博識とユーモアあふれる語り口は、聴衆を引き込み、講演自体が一つの芸術作品のように感じられます。本講演録は、井上ひさし氏の創作に対する深い洞察や情熱を知ることができる貴重な作品です。

名だたる文筆家が登場する、文藝春秋の文化講演会。舞台にかける情熱、物語に対する真摯、劇場に寄せる期待、観客に向ける感謝、ことばに亘る愛情、一幕に光る未来。井上ひさしが生涯を捧げた小説と演劇について熱烈に語る。名劇作家の手にかかれば、講演会すらひとつの芝居になる。(1988年11月2日 名古屋市民会館 菊池寛生誕百周年記念講演会より)
●父帰り、みな家出する。 ●作者と客の違った関係 ●見習い女中パミラ~世界初の小説~ ●桟敷群像 ●二度と会えない向こうの人よ! ●観客が走り飛び乗る終電車 文藝春秋の文化講演会は、文学談や執筆秘話に人生論も交え、含蓄と味わい深い講演があなたの生き方に豊かさと彩りを添えます。

(C) 株式会社日本音声保存/文藝春秋

小説と芝居の違い、そして芝居の素晴らしさについて

小説を読むには文字が読めることが条件である。対して、映画やテレビ、芝居などは文字が読めなくても問題ない。日常的な会話ができれば、それで十分な条件が揃う。小説という形式が歴史的に新しいのも当然であり、教育が普及して多くの人々が文字を読める環境が整うまでは、小説は生まれなかった。近代になり、教育制度が広がり、誰もが文字を読めるようになった時代に初めて、小説という新しい表現形式が誕生した。

例えばイギリスの場合、小説の本家といわれるこの国での始まりは『パミラ』という作品である。その前に『デカメロン』のような例もあるが、本格的にイギリスで小説が盛んになるきっかけは『パミラ』だ。この小説を書いたのはリチャードソンという印刷業を営んでいた人物であり、51歳で執筆を始めた。この背景には、教育の普及と郵便制度の発展があった。当時イギリスでは郵便制度が整備され、手紙が確実に目的地に届くという新しい仕組みが注目を集め、人々は手紙を書くことに夢中になった。

しかし、多くの人々にとって手紙の書き方は未知の分野だったため、「手紙の書き方」を解説する本がベストセラーとなった。リチャードソンもこの流れに乗り、自ら手紙の書き方の本を書こうと考えた。彼は印刷屋の見習いとして働きながら、苦労の末に自分の印刷所を継ぎ、さらに経済的な事情から新たなアイデアを模索していた。そして、田舎の娘がロンドンの貴族の家に奉公に出る物語を手紙形式で描くという工夫を凝らした。それが『パミラ』という小説である。

物語は、主人公のパミラという少女が親元に手紙を書く形で進行する。彼女が奉公先で体験する出来事や、貴族の主からの不適切な振る舞いにどう対処するかが描かれる。その内容は次第に物語性を帯び、読者たちは手紙の書き方以上に、物語そのものに惹きつけられるようになった。この小説は非常に人気を博し、小説という表現形式の時代を切り開いた。

小説の歴史が浅い理由には、教育や流通といった社会的な背景がある。ヨーロッパでは近代に入り、教育制度が大きく変わった。16世紀ごろ、スペインで設立されたイエズス会が、堕落したカトリックの再建を目指し、教育改革を進めた。この流れの中で、フランスのラサール神父が画期的な「教室制度」を導入した。それまでの教育は、裕福な家庭が家庭教師を雇い、1対1または少人数で行われる形式が一般的だった。これでは教育の普及が進まず、費用も高額で限られた人々しか学べなかった。

ラサール神父は、1人の教師が多数の生徒を教える教室制度を考案したことで、教育のコストが大幅に下がり、多くの子供たちが学べる環境を作り出した。しかし、教室制度が広がる中で、教師1人で多くの生徒を教えるには技術や訓練が必要だと気づき、教師の育成を目的とした師範学校を設立した。これが現在の教育学部に相当するものである。

その後、ラサール神父が設立した修道会「ラサール会」は、当初は貧しい子供たちに教育の機会を提供することを目的としていた。しかし、日本に来た後は、裕福な家庭の子弟向けの教育機関として変化してしまった。このように、教育制度の変化や普及によって、多くの人々が文字の読み書きを習得するようになり、小説が広がる基盤が整っていった。

ここに印刷技術や郵便制度の発展が重なることで、小説という形式が誕生した。特に流通の発達は重要で、本が全国的に流通することで、多くの人々が小説を手に取ることが可能になった。このようにして、小説は人々の間に浸透し、文化として根付いていった。

小説の歴史は短いが、その中で多様な形式が次々と生み出されてきた。小説が誕生してから約100年の間に、すべての表現形式が出尽くしたと言われるほどである。現代の小説家たちは、先人たちが切り開いたスタイルを超える新たなものを模索し続けており、非常に苦労している状況にある。

一方で芝居という形式は、小説とは異なり、遥か昔から存在している。人々が集まり、何かを演じ始めるという行為は、人類の発祥と同時に生まれたと考えられる。芝居の特徴は、観客と俳優が同じ空間で体験を共有する点にある。このため、映画やテレビのように全国一斉公開といった形が取れず、特定の時間と場所でのみ成立する形式となっている。

芝居の魅力のひとつは、観客一人ひとりがその場で独自の体験を得ることである。たとえば、同じ舞台を観る観客でも、それぞれが異なる動機や状況を抱えている。その中で、芝居の出来が良ければ、観客同士が感動を共有し、連帯感が生まれることがある。これが芝居特有の不思議な力だ。良い芝居を観たとき、観客全体が一体となり、俳優たちの演技にも影響を与える。その結果、俳優たちは普段の能力を超えた演技を見せることがある。

芝居の良い例として、観客が感動を共有し、一体感を生み出すプロセスが挙げられる。たとえば、ある舞台で観客がそれぞれ異なる動機で集まったとする。誰かは恋人を誘うため、誰かは仕事のストレスから逃れるため、また誰かは純粋に俳優を観たいがために集まる。初めは全員がバラバラの気持ちで席に座るが、芝居が進むにつれ、良い芝居であればあるほど個人的な悩みや考えを忘れ、物語の世界に引き込まれていく。

観客の感動が高まり、舞台の俳優にも伝わると、俳優たちも普段の限界を超えた演技を見せる。この相乗効果が起こることで、芝居の質がさらに向上し、観客全体が一つの生き物のように感じられることがある。このような特別な夜は、観客にとって二度と再現されることのない貴重な体験となる。

芝居の魅力は、この瞬間的で生きた体験にある。小説や映画では、観客がその場で内容に影響を与えることはできないが、芝居は観客の反応によって演技が変わることもある。この双方向的な関係こそが、芝居の最大の特徴である。

良い芝居を観た後の観客の様子は特別なものだ。初めはお互いに無関心で座っていた人々が、芝居が終わる頃には心を開き、優しい気持ちで帰路につくことがある。このような体験は、芝居が生み出す奇跡といえる。観客同士が無意識のうちに「この夜は二度と来ない」と感じ、別れがたい気持ちで劇場を後にする。その光景は、作り手にとって何物にも代えがたい感動をもたらす。

芝居の一方、小説にも別の感動がある。小説は個人で楽しむ形式であり、どこででも読むことができる。装置や準備が必要なく、読者が自由に作品を味わえる点が大きな魅力である。しかし、辛いことや困難に直面しているときに、良い芝居を観ると勇気を得られるという点で、小説とは異なる力を持つ。芝居は観客と俳優が一体となり、互いに影響を与え合うことで、感動を倍増させる可能性を秘めている。

海外では、芝居が人々の生活の一部として根付いている。例えば、ニューヨークでは古い図書館を演出家に貸し出し、芝居の拠点として活用する事例がある。この図書館を与えられた演出家ジョセフ・パップは、そこで数々の芝居を生み出し、中には『コーラスライン』のように世界的なヒットとなる作品もあった。このような仕組みによってニューヨーク市は芝居による観光客の増加や税収の拡大を実現した。

また、スラム化した地域に芝居関係者向けの住宅を提供することで、地域の活性化にも成功している。これらは、行政が文化を重要視し、住民の文化的欲求を満たすために動いた結果である。ニューヨークの人々が芝居を愛しているからこそ、行政もそれに応える形で政策を実施している。

日本においては、芝居や文化への関心がまだ十分に高まっていない。そのため、芝居を観る環境や支援体制が整っておらず、生活に根付いているとは言い難い。たとえば、東京には1000万人以上の人口がいるにもかかわらず、都立の劇場は1つしかない。名古屋のような大都市でも、公共の劇場やオペラハウスの数は限られている。

文化を育むには時間がかかるが、金銭的な利益だけではなく、芝居や音楽、美術といった心を豊かにするものに目を向ける必要がある。個人の内面的な充実が社会全体の質を高め、文化を支える力となる。奇跡的な体験を何度も味わいながら、心を耕すことで人生の幸福が得られるのではないか。芝居や小説、音楽といった芸術は、そのための重要な手段である。



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