書評;村山由佳 「放蕩記」
こんにちは、匤成です。この作品は、単行本が出た時から少し気になっていました。何と言ってもこの装丁がもう主人公めいていて、純文学っぽさがありそうなイメージがしたからです。
体裁は、スマホ公式アプリに見やすいように句読点が打ってある。
自伝的小説。母との確執
この作品は、自伝的小説と言われることがある。とはいえ、主人公の名前は「鈴森夏帆」となっているしどこまで真実かは判明しない。ただ離婚歴がある事や9歳年下との同棲と結婚、2番目の夫が村山の“ヒモ”状態だったという事実からすると、遠く離れてはいまい。村山はほとんどの作品で実体験が組み込まれているそうだ。
(追記:2020.8/15現在、2番目の夫、大介とは既に離婚したそうだ。金銭面での行き違いが原因だとの事)
夏帆は小説家だ。そこそこ売れた小説家で今のところ仕事は途切れていない。仕事の面では成功しているがプライベートではあまり成功していない。
まず母親だ。夏帆は母を苦手としている。それは母親の強烈な関西弁が象徴するかのように、言動も両極端なところがあるからだ。
タイトルは聖書のキリストが語った「放蕩息子」から来ている。
二人兄弟の弟の方が、好き勝手に生きてお金が無くなったので実家に帰ることにした。父親は帰ってきた次男を歓待し、農作業か何かで外に出ていた兄が帰って来ると、「自分には友達を呼んだ時のヤギ一頭さえくれなかったではないか」とふてくされる。
というものだ。夏帆はその兄の方に強く共感しているとある。父親(神)の寛大な愛について例えたものだがよく見落とされるし、聖書はこれでもかというほど作家におもちゃにされる。
母親の美紀子がカトリックという設定になっているから皮肉を込めたものだろう。そして物語を印象付けるために使われただけのようで、その後は聖書の言葉は出てこない。
何かと反目しあう母娘
夏帆は2番目の夫になる大介や編集者の麻田ちゃんと会話をするうちに、母親が如何に変わった人かを思い出していく。その時に自分がどう感じていたかも本音として書かれている。
時代も違うので「暴力と呼ぶか、それとも教育や躾と見るか」は世代別で違うだろう。夏帆は母親の言動を理不尽だとは思いつつも母親が苦手な理由をよく理解していないし、読み手まで気圧されそうなほどぶっ飛んだ母親のエピソードがあるので全部はあげられない。
まず思い出すのは幼稚園時代。夏帆の家に来た園長先生に“着せ替え人形”を見せようとした時に、激しく怒られた事だ。「やらしい」という言葉が鮮明に記憶されている。まだ子供だったし、ただ1番好きなおもちゃを見せたかっただけなのだが、母は激怒した。その後、園長先生に良いところを見せようとして、さらに母親を怒らせる事になる。人形の件はしばらくの間「解らないエピソード1」となった。
もう1つ思い出すのは、中学生の頃の事だと思うが“クラスメイトの皆でテニスしに行こう”という話になった。夏帆のクラスメイトはお小遣いという概念が無いほどに自由にお金をねだれるが、いっぽう夏帆は当時としてもかなり少額の方だった。
貯金をして、それでも足りない分は前借りしてもらおうと思っていた。そして当日の朝に前借りを頼む。でも母から許してもらえず、「お金が足りへんからごめん、行けません」言うて謝ってきいやと言われてしまう。お金もないのに約束するからあかんのや、もっと前に言えば貸してやれん事もなかったのに、と。
この点は妹の方がちゃっかりしていて、お爺ちゃんお婆ちゃんの所に行って甘えれば良かったのにと言う。夏帆は変に真っ直ぐなところがあったのだ。
退化してゆく母
長くなりそうなので、購読者ではない方へ向けて結末から書こう。その後、母親は認知症を発症する。口は達者でも記憶力は目に見えて衰えていく。美紀子自身も気付いているが、どれほど進行しているのかは判っていない。何かを忘れる事に恐怖を抱いていても、今さっき訊いた事すら覚えていない状態が続く。
夏帆は家を離れて大介と暮らしているし、妹も嫁いでいるので、両親の2人暮らしだ。父親はまだ健在で、今のところは1人で美紀子の面倒を見ている。美紀子とは電話をすれば話せていたが、徐々にそれも叶わなくなる。母はたとえ相手の事を知っていても、突然、誰かが判らなくなってしまう自分が怖いのだ。最後は母親らしい一言で物語は終わる。
タイトルが気になって読んだが性的描写はまだ少ない。今作以降は、性愛を前面に押し出した作品が増える。「母娘の物語、女性の物語を読みたい方は」合うかもしれない。まずはここまで、匤成でした。
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