【イタリアワインの物語①】古くて新しい、"ポー川の向こう側" オルトレポ・パヴェーゼOltrepò Pavese
川向うの世界
オルトレポ・パヴェーゼ(Oltrepò Pavese)は『ポー川を越えたパヴィアの土地』という意味である。その名前が示す通り、ロンバルディア州パヴィア県の南部、ポー川を渡った丘陵地帯を指す。
県都パヴィアはミラノの南30キロにある、非常に古く小さな美しい都市だ。ローマ帝国の征服前の、先史時代にケルト・ガリア系の民族がここに移り住み、最初の集落を建設した。
古代からワインの銘醸地 イタリアで最も古い木樽の可能性も?
古代ギリシャの歴史家で地理学者のストラボン(紀元前64年-紀元24年頃)が、オルトレポ・パヴェ―ゼの地域について、「大きな木樽を使い、豊富な種類のワインを産出し、人々は親切」と記したと、オルトレポ・パヴェ―ゼ保護協会(以下『協会』と呼ぶ)の事務局長、カルロ・ヴェロネーゼ氏(Carlo Veronese)は語った。
ワインに木樽を用いる文化は、ケルトや北方異民族の影響を受けている。アンフォラ(テラコッタ製のワイン容器)が主だった紀元前1世紀のローマとは明らかに異なる。「イタリア半島で木樽を使用したワイン生産地としては最も古い可能性がある」、とカルロは補足した。
実際に、オルトレポ・パヴェーゼの地域では、1つのDOCGと6つのDOCがあり、その中に50種以上のワインが存在する。この多様性が、オルトレポ・パヴェ―ゼの銘醸地としての歴史的な厚みを一番よく表している。
4つの州の交差点に位置するオルトレポ・パヴェ―ゼ
地理的にも興味深い。地図でオルトレポ・パヴェ―ゼの位置を確認してみよう。オルトレポ・パヴェーゼはリグーリア州、ピエモンテ州、エミリア・ロマーニャ州、そしてロンバルディア州の交差点に位置している。(地図・中段)この地理学上の特徴が、現代のオルトレポ・パヴェーゼの食文化(エノガストロノミア)のベースにある。「4つの州が見事に混ざっているのが、オルトレポ・パヴェ―ゼのエノガストロノミアの特徴なのです」と、協会の広報部長のルチアーナ・ロータ氏(Luciana Rota)は語った。
ジェノヴァとパヴィアを結ぶ”塩の道”
この混合 - すべてが混ぜあわさっている状態は、もっと簡単に言えば、『良いところ取り』とも言える。実際に、オルトレポ・パヴェーゼは平野と丘の両方の良いところ取りだ。ポー川の平野部では小麦やトウモロコシが育つため養豚が可能で、豚肉のハムやサラミが特産だ。対する丘陵地帯では、さまざまなブドウ品種から多様なワインを産み出す。
そんな豚肉製品の豊かさは、同じポー川流域のエミリア地方の食文化にも通じる。だが、オルトレポ・パヴェ―ゼには、独自の面白い言い伝えがある。それは、中世のジェノバとパヴィア間の商業ルートであった『塩の道』(la strada del sale)だ。日本の山梨や長野などの『海なし県』と同様に、海から遠い内陸のオルトレポ・パヴェ―ゼでは、塩は生活必需品であり、貴重だった。馬が通れないほど狭い山岳の道でラバをつかって塩を運んでいた。
「オルトレポ・パヴェーゼの農民は、貴重な豚と塩を物々交換していたんですよ」とルチアーナは語った。言うまでもなく、塩なしではハムもサラミも作ることは不可能だ。海と内陸を結ぶ古い『塩の道』を、いつか自分の足でもトレッキングで辿ってみたいものだ。
そんなハムやサラミは当然ながら脂っこい。オルトレポ・パヴェーゼの『ボナルダ(Bonarda)』は、軽い口当たりのやや微発泡な赤ワインだ。これがハム・サラミの脂っこさに良く合う。口のなかを洗い流して、さっぱりさせてくれる。
そう聞くと、エミリア地方のランブルスコをすぐに思い浮かべるかもしれない。だが、ボナルダを実際に飲んでみると、より複雑で、タンニンも感じられる。口当たりが軽い反面、余韻の長さ、複雑さに意外性がある。
世界で親しまれる 農民のワイン「ボナルダ」の魅力
ボナルダ・デッレ・オルトレポ・パヴェ―ゼDOCは、地元の固有品種クロアティーナ(Croatina)から生まれる。クロアティーナは、中世にはオルトレポ・パヴェ―ゼで育てられていた固有品種で、別名『ボナルダ・ピエモンテ―ゼ』とも呼ばれ、隣のピエモンテの影響を感じる。歴史的に、オルトレポ・パヴェーゼはピエモンテの支配地域だったことがあり、「vecchio Piemonte」(古いピエモンテ)と呼ばれていたという。
他のオルトレポ・パヴェ―ゼの場合は、クロアティーナに、バルベーラ(Barbera), ウゲッタ(Ughetta)またはヴェスポリーナ(Vespolina), ウヴァ・ラーラ(Uva Rara)などをブレンドすることもあるが、ボナルダという名前のワインを生むこのクロアティーナという品種が、この土地と数百年間、わかちがたく結びついて いることは間違いない。
リグリア-アペニン丘陵の涼しい気候から来るスパイシーさ、ミネラル感、複雑さ。優れた自然環境が個性を生む。保護協会のカルロ事務局長は、こう語った。「前世紀までは、地元の農民はボナルダをつくり、ボナルダだけを飲み続けて、生涯を閉じるのがふつうでした。けれども、それはある意味で幸福だったのかもしれません」と。そんなボナルダは、オルトレポ・パヴェ―ゼの伝統ある親しみやすい普段着のワインとして、年間約2000万本も世界に輸出されているのだから驚きだ。
イタリアのピノ・ネーロの75%がオルトレポ・パヴェ―ゼ産
オルトレポ・パヴェ―ゼは、土壌学の観点からも、多様性が際立つ。地元でジェッシ(Gessi)と呼ばれる石灰土壌や、粘土質土壌、砂質土壌がパッチワークのように広がる。これは、オルトレポ・パヴェーゼのすべてのワインの味わいに影響を与えている要素だが、特に注目すべきはピノ・ネーロである。最高で海抜550メートル地帯にも及ぶリグーリア・アペニンの冷涼な気候と石灰質土壌のおかげで、オルトレポ・パヴェ―ゼのピノ・ネーロは、果実味だけではなく、フレッシュでシャープな酸も備えている。
この日、協会が厳選したワインは次のとおり。
(詳細は末尾の画像参照)
全18種類のテイスティングをおおまかに分類すると、ピノ・ネーロ(ピノ・ノワール)のメトド・クラシコのスパークリング(ブラン・ド・ノワールとロゼ)、白はリースリング、赤はピノ・ネーロ、ボナルダ、バルベーラ。
そしてデザートには甘口のサングエ・ディ・ジューダ(直訳すると、なんと「ユダの血」!)となる。
個人的には、最初のピノ・ネーロのブラン・ド・ノワールとロゼのスパークリングの品質に驚かされた。『クロッカンテ(香ばしい)』酸と豊かなボディのバランスがとれており、ロゼは瓶内熟成10年を経てもなお、小さな赤い果実のニュアンスとフレッシュな新鮮さが残っている。この地域のピノ・ネーロのポテンシャルを印象づけた。
ピノ・ネーロとオルトレポ・パヴェーゼのつながりは古い。19世紀末に、ピエモンテ最大のスパークリング醸造会社となったガンチアの経営者Carlo Ganciaがフランスに留学し、瓶内二次発酵『メトド・クラッシコ』を学び、イタリアでピノ・ノワールの素晴らしい可能性を持つ場所として、このオルトレポ・パヴェ―ゼに注目した。20世紀初頭に地元の生産者協会と栽培契約を結んだ記録が残っているのだという。
近年では、フランチャコルタのベルルッキなどの大手が進出してきている動きも気になる。Gambero Rossoのシニアエディターであるマルコ・サベリコ氏(Marco Sabellico)は、「ピノ・ネーロの産地として、オルトレポ・パヴェーゼではイタリア全体のピノ・ネーロの75%を生産している」と解説した。
アッビナメントでわかるワインの真価
この日のディナーの料理とワインのペアリング(アッビナメント:abbinamento)は、オルトレポ・パヴェ―ゼの理解を深めるうえで重要だった。ディナーでは、8種類のワインと皿のペアリングが披露された。イタリアワインの真の価値は、食事との組み合わせで分かる。昼間のマスタークラスから屋上でのアペリティーヴォ、そしてディナーへと続く各場面を通じて、オルトレポ・パヴェーゼのスケールの広がりと、ブドウ栽培醸造への長いコミットメントの歴史を感じた。
会場となったガンベロ・ロッソの2つ星(ドゥエ・フォルケッテ:Due Forchette)、リストランテ イタリアーノ・エトゥルスキ(Etruschi)のシェフ、前田拓也氏は、このディナーのために、考え抜かれたアッビナメントのメニューを提案した。
キウイフルーツなどでマリネされた鰤(ぶり)は、Frecciarossaのリースリングバイオ2021と非常にバランスの取れた組み合わせだったし、Ca di Fraraのメトド・クラシコ・ロゼ、エクストラブリュットとの相性も秀逸だ。
前田シェフ自ら肥育農家を見学したという、稀少な鹿児島県産のロースト和牛は、Castello di Luzzanoのピノ・ネーロ・デル・オルトレポ・パヴェーゼDOC 2021「ウモーレ・ネロ」と合わせると、驚くほどの旨みの相乗効果を持っていた。
最後のデザートのイチジクのコンポートに添えられたザバイオーネは、スパイスの香りが印象的だったが、甘口の赤ワイン、”サングエ・ディ・ジューダ・デル・オルトレポ・パヴェ―ゼ DOC”と合わせた。背徳感たっぷりの「ユダの血」を意味するサングエ・ディ・ジューダは、甘いスパイスのニュアンスは不思議と良く合い、ワインの持つ微発泡がザバイオーネの卵のもったり感を喜ばしいものに変えてくれた。
おわりに
パヴェーゼとは、『パヴィアの』を意味するものの、実際にはパヴィア旧市街(チェントロ・ストーリコ)から南に10km以上離れており、何より大河川のポー川を越えなければならない。そのため、オルトレポ・パヴェーゼはパヴィアの後背地というより、独自のアイデンティティを持つ地域であるように思える。だが、長いワインの伝統と幅広いラインアップがあるゆえに、「わかりやすさ」を前面に出したアイデンティティの確立は容易ではない。
そしてもし私がこのテリトーリオを旅できるのなら、2泊はパヴィアの旧市街に宿泊し、都市を見学したあと、3泊目以降はアグリツーリズモに滞在して、オルトレポ・パヴェ―ゼのカンティーナを周遊してみたい。
「観光は、このCOVID-19が収束してから始まったようなものです。オーバーツーリズムの真逆です。まだまだ、人が少なくて、良好な自然が沢山残されているのがオルトレポ・パヴェ―ゼの魅力です」とルチアーナは語った。7つものDOCとDOCGをたばねる、かなり広いテリトーリオをカバーする保護協会のリーダーシップと活動内容に、今後も注目していきたい。
本稿は、オルトレポ・パヴェ―ゼ協会(Consorzio Tutela Vini Oltrepo Pavese)の来日に合わせて開催されたプレス、ワイン専門家向けの試飲会(マスタークラス)とディナーの記録です。本稿の英語版とイタリア語版は、櫻井芙紗子の公式ホームページ(www.fusakosakurai.com)に掲載しております。
イベントの開催概要は下記の通り。
<開催概要>
日時:2023年9月14日(木)
会場:リストランテ イタリアーノ エトゥルスキ
講師:ガンベロロッソ『ヴィーニ・ディタリア』編集長 マルコ・サベリコ
オルトレポ・パヴェーゼ協会 ディレクター カルロ・ヴェロネーゼ氏
通訳兼コメンテーター:宮嶋勲氏
シェフ:リストランテ イタリアーノ エトゥルスキ 料理長 前田拓也氏 アイテム:計8種(泡3、白1、赤4) とペアリングディナー