色々諦めている話。
今日は何だか、小難しいことを書きたくない。
今日は、と言うかここ最近、頭が上手く働かない。なんとなく四六時中疲れている感じがする。
仕事が終わって家事(と言っても比率的には妻の方が圧倒的に多いが)をして、子供たちを風呂に入れて寝る準備をしたら、もう何もできない。自分のためだけに割く時間など無い。捻出すればありそうだけれど、そのような気力も無い。ただただ日常に流されていくだけだ。
その中でも、道標とか生き抜くための武器として、どうにかして本は読みたいし、実際幾つか並行して読んでいるのだが、一瞬でも興味が無いスイッチが入ってしまうと、もう眠くて仕方ない。
私の頭の作りがポンコツなのだろうが、興味が無いと眠くなって、それ以上頭に情報が入ってこないのだ。
今読んでいる本は何冊かあるが、辛うじて興味の糸が切れずに済んでいるものもある。いつその糸が切れるかビクビクしながら読み進めている。他方で、途中でもう既に切れてしまった本は、消化試合のような形で、ただひたすらページを繰っていく。当然、頭の中に知識など残らない。思考していないからだ。
「ほう、それでそれで」とか「いやこれはどう考えても違うだろ」みたいな思考をしながら、つまり書物と対話をしながら読書をしていかないと、少なくとも私は、自分の血となり肉となるということが無い。現状、心に余裕が無いせいか、そういったことが出来ていない。ただ一方的に話を受け入れていくだけ。
何の話だっけか。そうだ、諦めている話。
意欲はあるが、頭や体がちょっとくたびれている感じ。心はまだ少しだけ燃えている。この心に灯った火が消えそうになったら、そろそろマズイかも。
そうなる前にどこかで充電しよう。うん。
今は無理せず、諦めるのだ。
諦めがどうとか、今の自分にはちょっと考える余裕が無い。つまりは、潔くギブアップということだ。
ところで、この文章を書いている際こんな言葉を思い出した。
誰が言った言葉だかちょっと忘れたが、その通りだ。
ちなみに今は、21時前に家族全員で寝床に就いたはずなのに、娘が咳が酷くて起き出して、リビングで看病したりしていたらこんな時間になってしまった。
娘の体調は落ち着いたようで、ようやくリビングのソファで眠りについたけれど、寝室に戻る気力は今の私にはもう無い。というか、この疲弊した体で娘を抱っこして寝室まで行って寝かせるのは、ちょっともう今は無理。諦めた。
それに、また咳き込んでしまうと可哀想だし、真っ暗な寝室だと対処も難しいから、もうここ(リビング)で居るのでいいや。
だから今はこうしてダラダラと時間を過ごす。眠たいはずなのに、無為に過ごしてしまう。いかんなぁ。
いやでもやっぱり寝よう。明日は休み。休みなんだから休むべき。よく寝て、よく休んで、そして回復するのだ。まずは健全な肉体にするために。それは、諦めたくないなぁ。おわり。