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日本の茶道はハイ・コンテクスト文化の極み

英語の勉強をしていて、低コンテクスト文化、高コンテクスト文化、という分類のがあることを知った。外国語を勉強する上でもっと早く知っておきたかった概念だなと思います。

これはアメリカの文化人類学者のエドワード・T・ホールが提唱したもので、コンテクストとは「言葉以外の情報」のことを指し、日本語では「文脈、脈略」と訳されている。
言葉以外の情報を重要視しない文化を「ロー・コンテクスト文化」、
言葉以外の情報が重要視される文化を「ハイ・コンテクスト文化」と言うそう。

どういうことかというと、

●ロー・コンテクスト文化では言葉にされたもののみが重要で、言語化されていない内容は伝わらないとされる。
●ハイ・コンテクスト文化では言葉以外の情報に依存する割合が高く、言語化されていないメッセージを、受け取る側が「推測する」「感じ取る」「察する」。

ほー、なーるほど!
英語などを勉強する上で、初期の段階(若いうち)に知っておきたかったですね!

それで、日本語ネイティブからすると、英語を話す時はわざわざなんでも言葉にしないと伝わらないということになり、一方で日本式の手紙の挨拶文やまどろっこしい言い方をすると外人は余計な情報をなぜくどくどと?と捉えて肝心なことが伝わらなくて的を射てないってなるんだったんですね。

言うなれば、

[低コンテクスト] 
アイラブユーと言葉にしないと伝わらない文化 
VS 
[高コンテクスト] 
そんなこと言わせるなよわかってるだろ文化 
ってことですかね?

また、

●英語圏などのローコンテクストの文化では、言語化されていないことは「ない」も同じなので、きちんと伝えるためには発する側、表現する側の主体性が重要で、伝達手段として言葉以外にも顔の表情が豊かだったり、ジェスチャー(という言語化された表現)をよく使って伝えようとすると。
●一方、日本などのハイコンテクスト文化では、発する側はそれほど頑張らなくても聞き手、読み手の受け取る能力が高いので大丈夫、、、大丈夫というか察する能力が必要とされているということですね。

提唱者のホール氏によると、日本の文化はハイ・コンテクストの極致だそう。
これはどちらが良い悪いというわけじゃなく、違うということです。

確かに!
演劇やパフォーマンスにおいても日本の伝統的な演劇や舞踊、特に能では派手な動きは抑えに抑えて、観客が察する、読み解くことが必要とされています。
和歌や俳句などもそのままをストレートに表現することはせず抽象度の高い表現をして、読み手が紐解いて味わう、そういう文化。

それは昔から長く続く国だから聞き手の共有度が高くなったのでしょうか。経緯については研究しないとわかりませんが、京都辺りでは今でも物事をストレートに言わないのが大人っていう風潮がありますし〜。
自分なんかは西洋かぶれだったせいか、生粋の京都人の言ってることをそのまま真に受けて、後からあちゃーってなったりしています。
とはいえ、現代ではかなりミックスされてきていますね。

ならば、茶の湯は! と思い至る

茶の湯は、各自が好きに感じ取ればいいというのが究極です。それなのに一般的には親しみにくいところがありますね。

茶道のイメージで敷居を高く感じさせているのが先ず「作法」だとよく聞きます。でも作法の不文律はとりあえず横に置いといて、ここでは、次によく聞くハードルとして難しい、よくわからないとされる「茶席の内容」の部分について考えてみます。

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茶席では、亭主(ホスト)が準備した茶道具やセッティング、庭はもちろん、茶席の流れや料理やお菓子に至るまでの全てを、客側が五感と頭脳を使って感じ取り、読み解き、味わうという謎解きゲームのような節があります。仕掛けられたものをどこまで感じ取れるかという、客側の主体性がすごく重要視される。喋ることもあえて極限まで減らして、客に感じ取ってもらうことに重きを置いている様式。

客は別に茶道具のこと何も知らなくても良いんです。今日の風は気持ちいいなと感じるだけでも良くて、蝉の声がにぎやかだな〜だけでも、お花かわいいな〜だけでも、お菓子とお茶うま〜 と思うだけでも良い。五感だけでもいいんです。
ただそれが達人になると、茶道具や焼き物の具合や由来、掛け軸が誰のどういう言葉でそれを書いた人物についてなど、果てしなく感じ取る要素があって奥深い。果てしなく!です。一見静かに座っている客人は、五感と頭をフル稼働して全身全霊でエンジョイしてたりするのです。

短い時間を共有する間に、客は各自が自由に楽しめばそれでいいというのが究極ですが、知っていればいるほど感じ入るところがあるという、ほとんどを客の感性に依存する茶席って「高コンテクスト文化」の極みではないでしょうか。

茶道で伝承していかなければならないことの大事な要素のひとつ、ですね。

個人的には茶席は一種の劇場空間だと思っています。
亭主と客が双方で作り上げる一期一会の時空間。

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