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【ふなログ203】地下アイドルのドラマを観て、自身の仕事の「使命」について振り返った件。


最近、
インストラクターの仕事で、

「自己肯定感が低め」

と思われる受講生を
担当させて頂くことが
増えてきました。

明日も個別で入塾面談の
依頼を受け…
その人もそういったタイプの方です。

難しいかどうか?と聞かれると
正直難しいです。

プログラミングスキルを
身に付ける以前に、
乗り越えなければならない
課題が多過ぎて、

私もついあれこれ言い過ぎて
これまで何度も失敗してきたので、
1ヶ月前あたりまで
断ってきたのですが

先日入塾面談を
個別に依頼された受講生を
担当させて頂くことになって以来


過去自己肯定感が低くて
生きるのが辛かった自分と
何かしら

「折り合いを付けよう」

とする気持ちが
高まってきたせいか、

「力になりたい」
という気持ちで
担当させて頂くことが増えました。

「自分だからこそできるのでは?」
という気持ちで。


しかし、
それもエゴに過ぎないのかもしれず、

「良かれ」と思って伝えた言葉が
実は本人を
傷付けてしまうこともあり、

では「言うまい」
と思って耐えるのも大事…
というのもあれば、

あえて伝えることもあり、
その両者のバランスに
苦しんでいます。


先程の受講生については、

「なぜ就職したいのか?」
「就職しないと具体的に何が困るのか?」

という
根本的な問いを
投げかけましたが、
答えに窮してしまったのです。

社会人として自立できなければ、
そもそも
就職など無理だということに
気付いて頂きたく
このような問いを投げかけましたが、、

私からすると
プログラミングの知識やスキルなんて
学ぶ動機付けさえ明確になれば、
後から「何とでもなる」と思っており、

学習が捗らない人ほど、
そういった動機付けが曖昧だったり
自己肯定感が
低い人が多いのです。


しかし、
そういったところに気付いて頂き、
自走して頂くキッカケを
仮に私がお渡しすることが
できたとすれば、

「これ程価値のある仕事はないだろう」

と感じるのです。

ある意味
その人の人生を変える存在
にまでなれる

のだと思います。


しかし、
他人が他人を変えることは
本質的に不可能です。


他人が働きかけた
「何か」をキッカケとして、

本人が
その「何か」に感じて
気付いて本人自身が
「自分の人生を変えていく」
と決めて頂くまでに至らない限り
変わることは
絶対に不可能
だからです。


では、
その「何か」は何だろうか?

まず、
「自分を受け容れてくれた体験」
が最初に来るのではないだろうか。

自己肯定感に
欠乏している間は、
「受け容れてくれる存在」
が見当たらず、

自分を肯定できない
状況であることが多いです。

そして肯定できないと、
自分の能力や努力、責任を
信じ切ることができない
からです。


本当は
自分で自分を認めて
どんな自分であろうとも
受け容れて全肯定していく
過程を経ない限りは、
自己肯定感が
満たされることは
ありません。

しかし、
そこに至るまでは
どうしても他者に
認めて欲しくて彷徨ってしまう。

そのような人達には
やはり
静かな傾聴が必要であり、
良いとか悪いとかのジャッジは
後回しにするべき
だと思うのです。


しかしつい、
教える立場としては

「こうした方が良い」
という
指南が先立ってしまいがちであり、

指南より先に傾聴することを
スキップしてしまうと
肝心の指南が活かされないまま
心が離れてしまう…


という失態に
結びついてしまうのです。

いかに
「覚悟が大事」とか
「理由付けが大事」と訴えても、

「そもそもそれができないから困ってるんだよ!」

という気持ちで
跳ね除けられてしまう。


おそらくそれは、
子育てでも同じ場面に
遭遇すると思います。

いま、自分の子達は
小学生にも通っていない歳だが、

悩みに耳を傾けないで
正論ばかり伝えていると
必ず逆のことを
してしまうのだと思います。

(最悪「うっせぇわ!」みたいに)

過去の自分の心に
手を当てると実に痛くなります。


目の前の受講生は
失業されている人が多く、

自己肯定感が
低くなっている人がほとんど。
しかも男性が多い
(男性は心なしか孤独に弱いです)。

孤独になると
受け容れて欲しい気持ちが
強くなるようで、

気を抜いてしまうとつい、
「いい大人が」というレッテルで
断じてしまう…のを寸前で抑えて

(いや時々出てしまうこともある)

何とか
傾聴するようにするのですが、

テキストの
メッセージのやりとりだと、
つい正論を書いてしまうのが
自分の未熟なところ…です。

他者を受け容れるのが
こんなに難しいとは。
と痛感する毎日。


受け容れる…
で思い出したのですが、

今日の夜、
一人レッスンが別日程に変更になったので、

リビングのTVでNHK観てたら
とあるドラマに釘付けになって
観入ってしまいました。

『六畳間のピアノマン』
第四話(最終話)「歌声は響き続けて」

【上記記事引用】

■第4話(最終話)「歌声は響きつづけて」

 有村美咲(南)は歌が好きな女子高校生。いつかプロになって、自作の歌を歌うのが夢だ。もう1つの顔は地下アイドルのミクリ。マネージャーの吉田(木下ほうか)の言うがまま、チャンスにつながれば、と一生懸命にアイドルソングを歌い踊る。

 裕福な家庭に育ったものの、両親は美咲に無関心。孤独な美咲の心の支えが、動画「六畳間のピアノマン」。ビリー・ジョエルの「ピアノ・マン」や、いろいろな曲の楽しい演奏に元気づけられている。動画はもう8年更新されていないが、美咲は「六畳間のピアノマン」にメッセージで気持ちを打ち明けはじめる。

 美咲は、公園で作曲や練習をする際に、大道芸修業中の大友(三浦貴大)と行きあうようになる。ある日、ピアノマンから励ましのメッセージが来て、驚き喜ぶ美咲。一方で彼女は、吉田の勧めで次第に過剰なファンサービスに応じるように。多額の金を払うファンや外出ばかりの母親に失望が深くなる。大人を軽蔑するあまり、JKビジネスまがいでお金を得てみるが、満たされない。そんな折、「六畳間のピアノマン」はすでに亡くなっていると知り、美咲は深く絶望する。そして美咲の前で、大友の思いがけないパフォーマンスが始まる。

歌を歌うのが好きで
歌手を目指している女子高生の話で、

自分に関心を示さない両親に
孤独を感じながら

オーディションが通過した
地下アイドルの仕事をする毎日の中で

汚れた欲望を突き付けてくる
大人達を前に
自暴自棄になっていくのだが、

動画サイトで
「六畳間のピアノマン」と
大道芸人の大友との出会い
をキッカケに

「自分の歌」を歌うために
自立していく…という話。

主人公を演じる
南沙良さんがとても透明感あって
強い意志を感じる演技をされていて
1時間惹きつけられてしまいました。

→特にラストでアイドルを辞めて
一人で路上で弾き語りをしているシーンが、
最高に痺れました。
(普段冷酷非情な(冗談)珍しく妻も涙腺緩んでたし 笑)

両親に受け容れられない孤独
自分の存在を認められない孤独
から
それも受け容れてくれる存在との
出会いを通して自立していく。。

翻って
自分がそういう存在になれるか?

というと
万人に対して
難しいのかもしれないけど、
そこに近付くことはできる。

出会う人、ご縁のある人に
これからも
プラスの痕跡を残し続ける存在で
在り続けたい。

たとえこれから少し
金銭的に恵まれてきたり
世の中から
認められるようになったとしても、

自分が受け容れられず
苦しんだ過去は変えられないし、

そういった過去があるからこそ、
そういう苦しみを持つ人の気持ちに
少なくとも
寄り添うことができるはずだ。


自分の仕事に
「使命」
みたいなものがあるとしたら、

そういった「役割」
なのかもしれないし、
そのための「学び」が
これからも
必要になってくるのだと思っています。

それに本当に目覚めた時に、
「次の人生」
が見えてくるのであり、
その夜明けは近いのかもしれない。。

と、
寝る前にワクワクしています。


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