『アリスとテレスのまぼろし工場』考察その1 「常世」
・見伏の神が願ったもの
この映画には演出上の意図的な大きなミスリあると思います。見伏の神の神罰だとする佐上衛の説明台詞がそのままあの世界の真実だと思わせること。
あの世界が何なのかを言い当てているのは、おそらく正宗の祖父・宗司なんですよ。この場面、宗司が続けて何を言うかが必聴ポイント。
見伏の神は何を願い、何を創ったのか?
映画の中で正宗の祖父・菊入宗司は言う(小説版の台詞と異なる部分があるのですが、映画本編の方が世界観が鮮明になるので、そちらを採用します)。
これをひとことで言えば“想い出”だということ。見伏の神の想い出(宗司の台詞への誘導は公式もしてたから額面どおりの説明台詞とみなしていいかと)。
見伏の神が、見伏が最も良かった頃を想い出にするために創った、現実世界から転写された幻影の世界。
想い出だから写真とは異なり、時はその中で流れている。日は昇り日は沈んで夜になり、そしてまた日は昇るが「翌日」になるわけではない。
神の想い出の中の人々にとっては「時が止まった」と感じるのですが「時間が静止した」という科学的な意味ではありません。
想い出だから何も変わらず、想い出の外に出ることも出来ない。
想い出の外から物資の補給などあるはずもなく、食べているものだって、おそらく幻影でしょう。土地で新たに採れた魚介や野菜なのではありません。なぜなら漁船は出港出来ないし、農地だって種を蒔いて芽が出て育ち稔りの収穫などない。季節は巡らないのだから。
「あの日」のまま、ずっと冬なんですよ。
・見伏の神が創った世界
このように時は流れているが何も変わらぬ不老不死の永遠郷を、古代倭人は“常世(とこよ)”と呼び、海の彼方にあるものと幻想した。古代漢人の、よく似た概念の“蓬莱(ほうらい)”と早い段階から習合してそのようになっていました。
「見伏の神」と言うから“産土(うぶすな)の神”あるいは”鎮守の神”だろう。
※正確に言えば“産土神”とは古くからの土着神であり、その土着神を抑え込むために招かれたのが鎮守神なのですが、いつしか人々の中で混じってしまいました。
鎮守神の方が後世の人々に地主神とされたような場合には、神学的に言えば「鎮守神が産土神を呑み込んだor取り込んだ」形で融合し同一化したことになるのかも。
ともかくこの見伏の神は想い出として、海の彼方ではなく、己の鎮守する地に結界を貼り“常世”を創ったわけです。
余談ですが、新海誠『すずめの戸締まり』における“常世”は「死者の赴くところ」とされており、これは古代における常世観のひとつを採用したものです。
その上で「すべての時間が存在」し、生きた人が迷い込むと「その人の内面世界が常世の外景となる」という独自解釈を加えたものでした。
佐上衛が市民に説いていたような“神罰”なのではないわけですが、彼自身は神罰だと信じ切っていたようにも観えます。そして現実世界から迷い込んだ菊入沙希(正宗たちの言う“五実”)を神妻として捧げなくてはいけないのだと彼は主張したわけですね。
その点は彼の誤認だったという描き方ですが、彼は彼で正しく把握して適切に対応しようとした面もあります。それが「儚い幻だからこそ、我々は永遠に生きていけるのですよ」という主張でした。
“五実”の強い情動により結界が大きく割れて、その向こうで真夏の蝉の声が響く中に廃墟の高炉が見えた。その時に正宗の叔父・時宗が甥に告白する。
「俺たちは、罰で見伏に閉じ込められた。いつか、外に出られる日が来る...それはお前達を失望させないための嘘だった」
それについて衛は否定も反論もしませんでした。
彼はもっと別のことを考えていたようにも思えます。
佐上衛論はそれだけでもひとつの記事になりそうだし、独立記事として語ってもみたいです。
・常世の人々
彼ら常世の住人は幻影であって既に「生物学的な意味での生物」ではないと言えるでしょう。人の姿をしていても「人間」ではない、いわば「人外」です。現実から幻影として転写された時に、その時点での「人の心」もまた、ある程度は写し取られてはいるけども。
現し世からの写し身。その残された「人の心」が、幻影の人の心をさいなみ、むしばんで、やがては壊れてしまう者が出て来るようになるのですが…
毎日きちんと食事をするのも、いわば自分が死んだことに気付かない幽霊が生前の日常行為を繰り返すようなものですね。幻影の彼らが口にしているものだって幻影の食べ物に違いない。彼らはたぶん、何も食べなくてもどうともならならなかったんじゃないかな。
彼らには体臭が無いと強調されています。
「臭くないでしょ、幻だから」
体臭が無いとは代謝機能も無いのでは。代謝機能が無いから歳を取らないし、産まれて来るはずだった腹の中の子が産まれて来ることもない(新たな命の誕生は無い)。
それなのに「心音」だけはする。代謝機能が無いのだから血流が有るとは思えないのに。現実から写し取る時に、心臓の鼓動の音もまた取り込んだのかもしれないが、何か別の想いが神にあったのか…しかし神の心など人にはわからない。
「生きてないから、臭くないの」
「でも。心臓動いてる、すごい。早い」
「生きてるのとは、関係ない」
正宗から恋心を告白された睦実は、そう訴えた。
正宗からの好意について睦実は既に知っていたのですが、いざそれを告げられると激しく動揺して拒絶しながら自分の頬を打つ。
「私達は!現実とは違うのに!生きてないのに、意味ないのに!」
2人が既に人の姿をした人ならざる人外であっても、彼女の心はわかる。そこに人の心が残っているからこそ、人ではなくなった悲しみが伝わります。
※その中にあって唯1人の生きた人間の“五実”については、食事も排泄も代謝も成長も描かれており、これについては別に考えなくてはいけませんが、ここでは触れません。
・常世の行く先
でもその神の常世は儚いものだった。結界は徐々に脆くなってゆき、やがてどんどん内部から失われ、壊れて行く。
変わらぬ想い出をそのままに...は無理だった。結界を維持し続けることに奔走を余儀なくされて行く。
そのうち見伏の神は力尽きて、想い出を閉じ込めておくための結界を貼ることもできなくなり、結界は大きく割れたままとなり、そして...という次の段階へと物語は大きく移り変わって行くことになります。
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