船橋屋愛は誰にも負けない〜史上最年少執行役員インタビュー〜
船橋屋noteチームの渡邊なつです!今回は、「船橋屋人インタビュー」第3弾です。船橋屋史上最年少で執行役員になった佐藤恭子さんにお話を伺いました。
第2弾はこちら↓
就活氷河期、船橋屋との出会い
───まず船橋屋との出会いを教えてください。
大学までずっとバスケをしていたんです。だから、バスケに携わる仕事に就きたかったのですが、試合中に手術をするほどの大怪我をしてしまったので、その夢を諦めてしまいました。
バスケ一筋でやってきたので、他のみんなより少し遅れた松葉杖での就活となりました。当時は、就活氷河期と言われていて、学生が企業を選ぶのではなく、企業側が学生を選ぶという厳しいものでした。
しかも私は松葉杖だったので、行動範囲も絞らなくてはいけませんでした。1番大好きで大切なバスケを失った当時は、すごく落ち込んで悩んで…の日々でした。
そこでバスケ以外に自分の好きなものは何かと考えた結果、歴史でした。歴史に関連する企業をリクナビで調べていて、出てきたのが船橋屋でした。
───そのような出会いだったんですね。その出会いから入社までは、どのような過程があったのでしょうか?
船橋屋のくず餅は腹持ちが良いため、バスケの試合前によく食べていたので知っていました。
私は松葉杖での就活だったため、他企業の選考では、松葉杖で来ることを事前に伝えるべきだと注意されたり…マイナスな言葉をかけられることが少なくありませんでした。
しかし、当時専務だった現在の船橋屋の社長は、「学生時代頑張った証拠だよね」と初めてプラスの言葉をかけてくれたんです。その他にも、今後船橋屋をどうしていきたいかなど熱いお話を聞くことができました。
バスケを失い、自分の未来が見えない中、社長の言葉は、また0からスタートラインに立って進むことができると感じた大きなものでした。
伝説の全店舗レポート
一次選考は、5人での集団面接でした。接客のロールプレイングを交えたもので、私以外の4人は接客のアルバイト経験がある中、私はバスケしかやってこなかったので、上手く実践できませんでした。
少し落ち込みましたが、経験は変えられないから、今から行動で示せることをやろうと思い、船橋屋全店舗を回ってレポートを作成したんです。
他に選考を進めていた企業は全て辞退して、船橋屋に全ての時間をかけようと思いました。
その熱意が伝わり、内定をもらうことができたと思います。
───現在もそのレポートが残っていると聞きました…!もう伝説ですね!
全ては自分の成長に繋がる
──執行役員になった経緯を教えてください。
社員+5年以上勤務のパートさんによる選挙だったんです。
社長から推薦理由を見せてもらったら、たくさんの嬉しい言葉がありました。
「船橋屋のことが大好きな佐藤さんだから任せたい」
「今後は女性が活躍する世の中だから、対応する仕組みを作って欲しい」
皆が書いてくれた期待に応えられるような組織作りをしていくことが、自分の役目だと思っています。
でも、「史上最年少」ということにプレッシャーは全く感じていないんです。もちろん、責任感を持って行動することは大事にしていますが、プレッシャーを感じて潰れちゃうとかは無いですね。経営側の目線に立つと、見える世界が違くてたくさん学びになるので、すごく貴重な経験をさせてもらっています。
今まで、NOとは言わずにYESと引き受けてやってきました。自分に何が合っているか、何をやりたいかは重要ではなくて、全て自分の経験になってプラスになると信じています。
辛いことや大変なことの先に、絶対自分の成長があるんだと実感できるようになるんですよね。
──どんなこともポジティブに捉え、自分の成長に繋げる佐藤さんの姿勢、さすがです…私も見習いたいです!
社内でも有名な歴史マニア
──佐藤さんが歴史好きになったきっかけは何ですか?
母親が、日本文化や歴史が好きなんです。小さい頃から、時代劇が流れているような家庭でした。日光江戸村や小江戸川越に行くのがすごく好きで、学校の歴史のテストも満点を取るくらい好きでした(笑)
──お母様の影響が大きかったのですね!やはり就活の企業選びにも歴史が深く関わっているのですね!
まず、歴史のある企業に入りたかったんです。大空襲や関東大震災を乗り越えてきた江戸時代に創業した企業に興味がありました。船橋屋のホームページに芥川龍之介や吉川英治のことが書いてあったので、それを基に学生の頃から船橋屋の歴史を研究していました。最初は、吉川英治のことはあまり知らなかったのですが、吉川英治記念館に行き、知識を増やしました。
とにかく、船橋屋のことを誰よりも知っている状態で選考に挑みたかったんですよね。
──現在も船橋屋の歴史を調べているのですか?
日々研究しています。217年の歴史を紐解くために、当主を一代ずつ調べていくと、それぞれが船橋屋の暖簾を守ってきた理由や経緯が段々と分かってくるんです。
皆で繋いできた船橋屋をきちんと残していきたいと強く思いますね。
世界中を見ても、日本は長寿企業が圧倒的に多くて、「長寿企業」自体が、日本文化のひとつにもなっていますよね。
長く続く秘訣を歴史から紐解くことで、長寿を目指す他社のヒントになったら嬉しいです。
──どのようにして船橋屋の歴史を調べていますか?
国立国会図書館に通って調べることが多いですね。
100年経営研究機構(※1)に所属しているので、知人と共有したりですかね。
あとは即行動!人に直接聞きにいくことが1番だと思います。吉川英治のご長男に会いに行ったり、芥川龍之介のお孫さんが参加するイベントに行って、名刺交換をしてお話を伺う機会を作ったり。
歴史はエビデンスありきなので、歴史を紐解く人がいないと、積み重なってどんどん埋もれていってしまうんです。
「文献から新たな歴史を見つける」これを繰り返していくと、しっかり船橋屋の歴史を次世代に残していくことができると思います。
現在、自分が調べている歴史を本にまとめているんです。
船橋屋が200年以上続いた理由を、読者の方が見つけ出してくれたらすごく嬉しいですね。
将来的には、学術的な目線で船橋屋の歴史を紐解いていけたらよいなと思います。口承だけでは少し弱いので、しっかり文献に残して説得力を強めていきたいです。
(※1 日本は、100年以上続く企業数が世界一。世界の長寿企業のおよそ4割が日本に集中している。日本の長寿企業の持つ叡智を視覚化し共有する機関のこと)
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