優しいことばを紡ぎたくなった
突然だけど、ずっと憧れている友人の話をしたい。その人といると何故か自分まで優しくなれる気がするんだ……
今日はただの誇れる友人自慢です。笑
優しさオーラの源
私は、自分が不器用で優しさとか気遣いとか苦手なタイプなので、その友人の優しさオーラが本当に羨ましいし、ずっと憧れ。
本人じゃないから実際のところはわかんないけど、気持ちの余裕をいつも感じるんだよね。物腰の柔らかさもあるし、言葉のチョイスが絶妙で、柔らかい空気感を作るのがとっても上手。芯はあるのに気持ちがまるい、ほわっとしてる。
親切や気遣いがさりげない、押し付けがましくない、「助け合おうよスタンス」と言いますか、こういう気の使い方うまくできたらなぁ、って思ったりもするんだけどなかなかむずかしい。あれはどうやったら身につくのだろうか……
あと、とっても聞き上手。数人でうまく話題に入らなかったりしても「〇〇は?」とさりげなく話すターンを回してくれる。だから、数人のうち1人がずっと話してる状況にはならなくて、穏やか〜な集まりになるの。それがわかっているから、その子と会うのはいつも楽しみなんだよね。
もはや尊敬するレベルなんです。いつもはあまり言わないけど、好きすぎる。
憧れる気持ちの裏にあるコンプレックス
自分がその友人に憧れる背景には、自分の性格があるんじゃないかな。ないものねだりとはよく言ったもので、正反対なんだよね。
自分が「気遣いがあまり得意じゃない」「どちらかというと尖ってる(表現も、思考も)」ってわかってるから、だからこそ憧れるし、ああなりたい!って会うたびに思うんです。
もちろんその子自身をコピーできるわけじゃないし、自分の元気なところや行動力、尖ってるところもいいねって言われることがあるから、自分の良さを認めて生かしてもいきたいし…さじ加減なのかなぁ。
書くことを仕事にして
優しいことばを紡ぎたくなった
憧れのあの子に近づきたい。
だからせめて、もっと優しいことばのチョイスがしたいな、って最近思っています。
今までは、書くことが個人の気持ちの発散だったり、フラストレーションを爆発させる場だったりしていて、もちろん読み手のことは考えていたけども、「書かずにはいられない衝動」に突き動かされてる、っていうのが実際のところで、読んでもっとスッと入ってくるような、優しい文章が書きたいなあ。
書くことを多少なりとも仕事としている以上、「読み手への優しさや配慮」はもっとしていきたい、と最近の反省。
そういう気持ちってやっぱり滲み出てくるから。無意識は意識に表れるとも言いますし。
あと、前々回のnoteをかなりの方に見ていただいて。あの文章に関しては好きな内容の分、熱量が特に高かったからこそ文章が拙くても伝わった部分もあると思います。もちろん熱量も大事。
読み手の立場をより考えて、優しいことばを紡いでいきたいというのが当面の目標です。
性格をバン!と変えるのは無理だけど、せめて発信することばだけでも、憧れのあの子に近づきたい。
そして、歳を取れば取るほどに丸く、余裕のある生き方を目指したい所存です。