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観察するのは怖いから。


私がこの本と出会ったのは、2019年5月20日13時27分。場所は先生の研究室。

人の研究室にはときどき行って、本棚を見ないとなと思う。

なぜか最近、先生たちの本棚を見たい衝動に駆られる。

たぶん、あと数か月で大学を卒業するかもしれないという恐怖があるのだろう。

(卒業してしまっては気軽に研究室に遊びに行けない。小さな変化に気が付けない。)

こんなにいろんな分野の研究者の本棚を見れる場所なんて学校以外に知らない。

先生の机にあった『観察の練習』は小さいのに分厚くて存在感のある本だった。

私は「観察」という言葉と「練習」という言葉に弱い。

幼い頃から好奇心が旺盛で、飼育が好きだったので「観察」は日常だった。

イモムシやアリ、トカゲやナメクジ、チョウチョやトンボ、ダンゴムシやヤモリ、カナヘビ、名前の知らない小さな虫。ハルジオンにとまるハチ、机の上にとまったハエ、真夏のアスファルトに苦しむミミズ、ドングリやイチョウの木、プールサイドの排水溝を流れる水、飼っているハトやウサギ、近所のノラネコ、肉屋のおじさん、八百屋のキュウリ、家電製品、販売している店員さんとレジを打つ人、工事現場のおじさん。

信じられないと思うけど、私は警戒心が高いとき、その人が何を考えているのかとか、どういう行動をとるのかとか、何を食べたがっているのかとか、何を言ってほしいのかとか大体わかる。今きっとこうしてほしいのだなとかがわかるのだ。ときどき心情を読めるときがある。そんなことを言うと怖がられるけど、悪気は一切ない。コールドリーディングでもない。自分でもなんだかよくわからない能力。

私にとって目に入るものはすべて観察対象で、恐怖の対象でもあった。

なぜ恐怖なのかというと、何かを飼育する場合ちゃんと観察しないと死んでしまうからだ。この生き物にとっていまの環境は適切なのか。

お腹は空いていないか、寒くないか、怪我はないか、毛並みはどうか、ストレスは感じていないか、、、。

対象の生き物から発せられるたくさんのメッセージ(情報)。

これらを見逃すと数日後には死が待っている。


また、「観察」は「練習」にも直結している。

私は手品がすきで、よく練習をする。

手品の練習するためにはよく観察しなければならない。

手品の練習をするとき、その場で体に覚えさせることが多いのだが、私はどうも覚えが悪く「もっと観察させください!」と言う。

体の動かし方や、目線の使い方、話し方、声のトーン、立ち振る舞い、足の運び、指先。

見るポイントはたくさんあった。

観察してからでないと動けない。見て覚える。

こんなにたくさん「観察」と「練習」をしていたのだが、「観察の練習」はしたことがなかった。

この本を読んでから、他人がどういうところを気にして見ているのか、どのように考えるのかがすこしわかった気がする。

着眼点を増やすことは、そのものをもっと深く考えるということだ。

ひとつのものを多角的に見るのは楽しい。

そこには私の知らない世界が広がっている。

知らない世界を知りたい。

もっと深く。

際限なく広がる世界にのまれたい。

たとえ二度と帰ってこれなくとも。


まい

『観察の練習』菅俊一著




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