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不確かものは決して悪いことばかりではない十四日目

Day14  これまでに夢中になったモノやコト


それなりに長く続けてきたという意味でも挙げるとやはり声、そしてその演技だろうか。

自信がなくて恥ずかしがり屋で人前で発表するなんて以ての外だった私が演技に興味を持つなんて冷静になって改めて考えてみると不思議でならない。

少し理由を考えてみる。

あぁ多分、自分の存在を知って欲しかったのかもしれない。
誰かの後ろについて行くだけの影みたいな人生がどこか寂しかったのかもしれない。

私は容姿にも自信がない。
だから演技でも特に“声”をという選択をした。
それにどこか秘匿されたところがあるから(それも今は崩れつつあるけど)

声はいい。
骨格や体型、声帯そのものなどの人体の構造で決められた個性。
それらが似ると声も似てしまうところもあるけど、そこにあらゆるものが合わさってその人だけの音を創りだす。

声の演技を勉強し始めて一番驚くのはやはり自分の声を知ったときではないだろうか。
録音して聴く声はまず「え、誰?」から始まり、慣れてくると次はその声をいよいよ操作することとなる。
自分の声なんだから操作も何もと思うかもしれないが、意外と理想の音は出ない。

特に私のように人との交流が苦手な人はこれが苦戦すると思う。
逆に普段からよく人と話し、交流がなんなくこなせる人や、もともと器用でセンスのある人はあまり該当しない。

何気なくしている会話だけど実は演技にとってとても重要だったりする。
何も考えず、ただ単に口を動かし声帯を振るわせるだけでも正直いい。それは日々の運動みたいなもの。ストレッチともいえる。

機械はその機能を使わなければ段々と故障や不具合が起きる。
人体も同じで声を出しておかないと、いざ使うときには上手く動いてくれない。

それが声の演技となれば……おのずと未来は見えてくる。


声の演技もいい。
声といいながら体全体を使って表現する。
それに思考や精神との組み合わせで世界でたった一つのものができてしまう。なんと素晴らしい。

そして、それは決して一つに限られない。
二つ、それ以上のものが掛け合い、混ざり合って常に新しいものを生み出している。

私はその過程を知った上で結果を見るのがとても好きだ。

聴いた音からは色んな感情や想いが溢れて伝わる。
自分自身へ、あるいは聴く者へ込められた無数の表現がそこにある。

実際に声の演技を勉強したことで得られた感覚もあった。
そして勉強していても気づけていない、分からないものもあった。
その不確かなものたちが、さらに期待を与えてくれる。
もちろん、かなり悔しくもある。


知らないことは恥ばかりではないと思う。

これから知っていけるという期待感と
知ったときにしか得られない幸福感が
待っているのだから。


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