「受け入れる」という能動@1日6,000歩#42日目。
9/7 7,402歩 ✨6,000歩達成✨
1.朝:小川沿いを歩く。往復40分。
外へ出ると、半袖では少し寒いと感じる。
2.夕方:ポストに葉書を投函しがてら、近所をウォギング。28分。
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このところ、夫は少々元気がない。コロナの影響のようだ。
口を開くと、「コロナの治療薬はいつできるのか。」「(安全な)ワクチンはいつ開発されるのか。」としょっちゅう言っている。
初めのうちは、その時点での、メディアで得た知りうる情報を、話してみたりしていた。でもそれは、夫も分かっていることだ。
さすがに、何度も同じことをいうし、答えがはっきりしていることではない。「さあねえー。」と流すほかなくなってきていた。
日曜日の夕食時。
話をさらに聞くと、コロナの影響で、「来夏に関わる予定だった大型イベントが、あるかないかが分からないことが、ストレスだ。」とのことだった。
それを聞いて、ふと思い出した新聞記事があった。
女子ソフトボール日本代表の、上野由岐子選手を取材した記事だった。
予定では、今年7月22日に、東京五輪の幕開けとなる女子ソフトボールが福島で始まるはずだった。上野選手の誕生日でもあるそう。
記事が掲載された7月は、1年の延期が決定していたタイミング。来年の開催も何ともいえないという状況では、心理的な疲労もあったのでは、と思う。
けれども、取材で上野選手は、「東京五輪があっても、なくても、どちらでも受け入れる」、と語られていた。その言葉が、とても心に残っていた。
普通に考えると。あっても、なくても、どちらも受け入れ難い。という考え方に、この状況では、なりがちではないだろうか。
できるだけの準備をしていたのに、五輪がないとなったら、やりきれない。
できるだけの準備をしていて、開催されたら喜ばしいが、コロナの対策は万全にできるのだろうか。心から楽しめるだろうか。感染する可能性もある。
といった具合に。
でも上野選手の言葉は、そうではなかった。
1ヶ月以上前の記事で、記憶がおぼろげながら、「たしか、ソフトボールの上野選手が、こう言っていたよ。」と、夫に伝えてみた。
夫は、「えーっ。それって覚悟を決めているっていうことだよね。どちらでも受け入れます。すごいな。」
「・・・ああでも、どちらでも受け入れる、って決めると、気持ちが軽くなる。そうか。そう思えばいいんだ。」
夫は、手帳にメモをした。
そんな夫の反応をみていて。
そうか、「受け入れる」ということは、主体的に、覚悟を決めるということ。一見、受動のようでいて、能動なんだ。と思い至る。
この不確かな時代を生きていくうえでの重要なヒントを、上野選手に教えてもらった。
東京五輪は来夏の開催も不透明だが、上野さんは「どちらでも受け入れる準備はできている」と話す。「試合をやりたい気持ちは当然あるけれど、自分たちで、どうもできないこともある。いま自分ができることを精いっぱいやるんです。」2020年7月23日朝日新聞記事より
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20/7/28から、人生の満足度を高めるために、1日6,000歩以上歩くことにした。
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