「歌枕」への関心の高まり
7,8年前の5月のある日の茶道稽古の場にて。
薄茶用の茶碗に、燕子花と橋の絵が描かれていた。
例えば12月に蕪や干支の絵、2月に梅の絵、3月にお雛様の絵・・・、などのように、時節に適った絵が描かれた茶碗を用いてお茶をいただき、季節を感じるのは茶の習い。
(燕子花の季節ーーー)
薄茶を頂いた後で、お茶碗を拝見していると、先生が、
「八橋です」
と、おっしゃる。
(・・・やつはし?京都銘菓のやつはしは関係ある・・・?橋は確かに描かれているけれど、八つあるわけではないのに、どうして八橋なのだろう??)
と頭の中が「???」となる。
燕子花と橋が描かれているのは、「八橋」であるらしい。
ということだけは認識するも、「なぜ八橋と呼ぶのか」がピンとこない。
帰宅後、本やネットで検索してみるも、なんだかピンとこない。
その後も、毎年5月になるとそのお茶碗が登場し、
「八橋ですね」
と認識だけはできるも、「なぜ八橋と呼ぶのか」はピンと来ない状態が、数年続く。
そして今年の5月。
やっと、「そのとき(その1)」が来る。
5月のとある日の朝日新聞に、確か燕子花の写真と共に、
「愛知県知立市八橋のカキツバタが見頃を迎えている」
「平安時代からの歴史あるカキツバタの管理のため、地元の人々が手入れなどに努めている」(←記事を保存していないのでうろ覚えだけれど、概ねこのような内容であったかと)
「・・・八橋って、実際にある地名なんだー!!」
愛知県やその界隈の皆さま、和歌や古典に精通している皆さまには常識と思いますのでお恥ずかしい(汗)、「八橋」が実在の地名とその記事で初めて知り。
やっとそこで、回路がつながり始め。
以下のようなところまで、理解が進む。
「八橋」という実在の場所で、燕子花が平安の昔、美しく咲いていた。
在原業平がその場所で「かきつばた」の歌を詠む。
から衣 きつつなれにし つましあれば はるばるきぬる たびをしぞ思ふ
この歌が伊勢物語にも「東下り」として描かれ、人々に共有されて
橋(板)、燕子花(かきつばた)がセットで描かれていれば
それは「八橋」を意味(暗示)している
さらにまとめると、
燕子花と橋(板)の絵→在原業平が「かきつばた」の歌を詠んだ場所→八橋
というつながりが、やっと腑に落ちて理解できた!
※ちなみに八橋という地名の由来は、以下のように。
と、ここまではいったん理解できたとして。
茶道具に触れていると、時々あるのです、上記「八橋」のような、意味ありげなキーワードが。
月とススキが描かれていたら「武蔵野」だったりとか。
桜といえば「吉野桜」とか。
現代の東京で暮らす私は、昔でいうところの「武蔵野」に住んでいるわけだけれど。「東京」といえば「月とススキ」のイメージを持つことは、ないわけで。
この、茶道具にもみられる「約束事」のようなキーワードの存在には気づきつつ、「その存在を一言で表せる」という発想には至っていなかった。
それが、出合えたのです。いや、正確には、認識できたのです。
「歌枕」
である、ということを。
サントリー美術館で夏期に開かれていた展示、
「歌枕 -あなたの知らない心の風景- 」
Utamakura Forgotten Poetic Vistas
雑誌でこの企画展を紹介した記事を一読して、「これだ!」と思う。
「そのとき(その2)」が訪れたわけです。
*美術手帖の紹介記事が分かりやすいのでリンクをはっておきます
https://bijutsutecho.com/magazine/news/report/25753
英題の、Forgotten Poetic Vistas (忘れられた詩的情景)
という表現が、現代に生きる自分に、非常に分かりやすく。
和歌から生まれた、「歌枕」という、共有された、ある場所に対するイメージが、「デザイン」となって、現代にも受け継がれている。
その共有されたイメージに自分も寄り添って、想像をふくらませて、向き合えばいい。
という認識を持つことができた。
となると次は、
大元の「和歌」「作者」「作者の生きた時代、背景」
へと関心が広がっていくわけで。
とりあえず今、今年初めて読んでかなり感動した漫画「ちはやふる」を読み直している(^^)
ちはやぶる 神代も聞かず 竜田川 からくれなゐに 水くゝるとは — 『古今和歌集』『小倉百人一首』撰歌
ちなみにこの歌も、在原業平の歌(!)。
歌枕の竜田川も、入っている🍂
#1日6000歩 9/21-9/27 計65,862歩 9,408歩/日✨