原敬さんの人生におもいをよせる2022年夏
療養期間終了から少し間をあけて、8月上旬から、子どもたちと新幹線で実家のある盛岡へ帰省。
いつも実家へ帰って翌日あたりにまず向かうのが、地元のスーパー、本屋さん、図書館。当面の食材と、空き時間ができたら読めるように、本を数冊、仕入れておく。
徒歩で行ける、やや大きめの書店に入ると、「岩手読書感想文コンクール」の課題図書がずらりと。
主催は地元紙の岩手日報。数年前から、読書家で知られる今やメジャーリーガーとなった菊池雄星くん(地元の私くらいの年代以上では親しみを込めて「雄星くん」と呼ぶ人が多い)も全面協力しているそう。
どんな本が課題図書になっているのかな~?と眺めていて、一冊の本が目にとまる。
「国萌ゆる 小説 原敬(はら たかし)」平谷美樹著
四六判440ページ
2021年10月07日発売
表紙には東京駅をバックに、原敬の肖像画。
手にとって少し読み始めてみると、とても読みやすい文章で止まらなくなる。
数十ページ読んだあたりで、全部読みたいから買おうかな…と思うも、ハードカバーで重たいのと、小説は一回読んだら読み返すということがまずないこともあり、いったん戻す。
結局、自分用に英語語源関係の本と、子どもたちの本3冊を購入し、帰宅。
帰宅後、「やっぱり、小説原敬、読みたい・・・」と、思う。
翌日、近所の図書館へ。
雑誌などを読んだ後、本を探して図書館奥側へ行ってみると、そこにまたもや「課題図書」コーナーが(!)。
「小説 原敬」もすぐに、見つける。
ーーーこれは、「この本を読むべし」と(誰かに)言われている?!
という気持ちになり、借りる。
その翌日。
母が、「県立美術館で美人画展?やっているから、観にいこうか」と誘ってくれたので、子どもたちも一緒に車で4人で向かう。
※母のいう「美人画展」は「江口寿史イラストレーション展」のことでした
と、走りながら、
「近いから、原敬記念館に、まず行こう」と母。
え?記念館と美術館と、俄かに、はしご、ですか?
子どもたち、もつかなあ・・・(集中力が)。
と急な提案に少々驚きつつ。
「小説 原敬」も読み始めたところ、
ーーーこれは、呼ばれている。(・・・誰に?)
と感じ、行ってみることに。
(ちなみに、盛岡在住の母も原敬記念館に行くのは十数年ぶり、とのこと)
県立美術館にほど近い、市中心部からは少し離れた場所、原敬さんが生まれて上京するまで過ごした場所が、記念館として残されている。
印象に残った展示品はいろいろあるけれど、
約45年分の整った日記の束(複製)、
東京駅丸の内南口で暗殺された際に着用していた、血痕の残るストライプのシャツとツイードのスーツ、
揮毫した、好きな言葉だったという「宝積(ほうじゃく)」の碑。
期間限定公開中だった生家や、移築された腰越荘書斎、南部藩主から拝領したという桜の木などをみて、小説を読んでいくうえでもその実像を結びやすくなったのであった。
帰京前に読み切ろうと、子どもたちが寝た後などに読み進め、読了。
政治家が主人公という小説はあまり手にしたことがなかったけれど。
江戸の終わりから大正の激動の時代に生き、平民としては初めての首相となり、「平民宰相」と呼ばれた人物のおそらくは日記に基づく文章は、読み応えのあるものだった。
そしてちょうどお盆の時期となり、盛岡の北東部の寺町にある、父と祖父母のお墓参りへ。
帰途にふと、「原敬のお墓がある大慈寺にも行ってみたいな~」と呟いたら、
「いいよ、行ってみる?」と母がさくっと言ってくれて、子どもたちからも不満の声はなく、向かうことに。
お盆で混む時期にも関わらず、大慈寺の駐車場にスムーズに車を停めることができ。
原敬さん、横に並ぶ奥様の原浅さんのお墓に手を合わせる。
それにしても、いつもは寄り道をするとなると「早く帰ろうよー!」「おなかすいたー!」とブーブー言い始める子どもたちが、全く文句を言わずにつき合ってくれたことが、なんとも不思議であった。
理由はまだよく分からないのだけれど、原敬さんの人生や人生観、明治・大正の時代の出来事等に思いがけず、おもいを寄せることになった、2022年の夏。
昨日、東京へ向かう新幹線に乗りながら、鉄道をつくっていくという仕事もされていたのだなあ、と思いを馳せたり、
東京駅に到着し、「今まで何度も通っている、この東京駅で、はからずも最期をむかえたのだなあ」と思いをよせてみたりしたのだった。
#1日6000歩 8/10-8/16 計63,445歩 9,063歩/日✨
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娘のリクエストでプールで泳ぐ(2回)🌊
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