僕が壊れた日
今日から、note本番。
そう、6月1日〜本格的にスタートさせる。と約束していました。
読んでくださってる皆様、末永きお付き合い宜しくお願いいたします。
元々5年以上もブログを書き続けてる私。
根っからのネット民で某大型掲示板ユーザーの為、句読点を使わぬ文章を多様してきました。
noteで闘病記を書いていくことは、そのリハビリの一貫でもあるわけです。
それではスタート。
今から13年前の出来事
時は平成19年、2007年のGW5月6日。
結婚し、妻の実家で殿様のような日々を送っていた。
義理の父親と朝から酒を飲み、持参のノートPCで仕事の資料を作りながら、合間にゲーム、、、そして酒。
小さな娘を義理の両親に預けて、夫婦で久しぶりに買い物にも行ったかな。
それは、無職・無貯金、むしろ借金まみれの僕が、出来ちゃった結婚して1年ちょっとが過ぎたいつもより梅雨が早い、GW最終日のことでした。
限界を超えていた僕の身体
借金をしながら、再就職した会社でスキルアップを目指していました。
それまでドライバーや、車関係の仕事しかしたことのない私には、ITという業界は本当に楽しかった。全てが新鮮で、趣味がネットだった私にとって、仕事が楽しくてしかたなかった。
反面、妻には経済面でかなり苦労を掛けたと思います、ほぼ無収入な状態で1年ちょっと、、、父親の他界等もあり遺産等があったものの、大きく好転するような事はありませんでした。しいて言えば人生で2台目の新車を買った。家族の為に。軽だけど。
元来車好きの僕にはせめてもの、贅沢だった。
しかしながら生活は、まさにド底辺の家庭。
母親の同居のおかげで、経済的にも支えてもらい、身体もお財布もいつもギリギリ。
身体へ原動力、いやドーピングは酒。
仕事して飲んで寝て、仕事して飲んで寝て、飲んで飲んで仕事して。
そんな日々が続いていた。
仕事は結果を出してきた、けれども収入が増える事もなく、ただただ壊れた歯車を回し続けるしか無い日々でした。
楽しい≠ノンストレス
無職からITのスキルを学ぶのはすごくハードルが高かったけど、仕事そのものは楽しかった。
今まで素人のパソコンスキルやネット知識程度しかなかった私が、プロの仕事をする事になっている。天狗になっていた。
それと引き換えに、仕事にのめり込み四六時中仕事の事を考える毎日が続いた。自分にはそれが楽しい事だと思っていた。
身体は悲鳴を上げていた。
それに気づくには1年程掛かったのでした。
楽しい事はストレスにならない。
世の中はそんな風に考えがち、旅行、ゲーム、スポーツ、車。
エステに整形、ファッションにお酒、夜遊び、、、etc。
その全てが、楽しい半面プレッシャーになったり、持続性が困難になって悩みや借金を産んだり、決して人生にとって良いものであると言い切れない事があるのです。
結婚ですら、うつになったり披露宴費用で借金作ったり、すぐに離婚して「無駄だった、、、」と悩みの追い打ち材料になったり。
全ての物事にストレスは発生しうるという事。
逃げる事で壊れた人生
今振り返れば、ストレスからも逃げていた。
遊びや酒というアイテムを使って、常に逃げていた。
仕事の失敗も家族に押し付けたり、未熟な人生を送っていた。
逃げれていれば大丈夫、自分は傷つかない。またリセットだ。
いつもそう考えていた。自分で作った借金のいくつかは、母親が泣きながら返済していた。
妻との結婚も、披露宴も出産費用も、新しい生活に必要なお金も、周囲から出してもらった。
ずっと僕は、逃げていた。
そして壊れる日がやってきた。
逃げ切れる事は無かった、いつの間にか四方囲まれ、行き止まりに追い込まれていたのです。
2007年5月6日深夜
胸の痛みから始まり、頭の中によぎる理由の無い不安感、、、。
濡れる手足の汗。
いつもどおり酒をたらふく飲み、就寝して1時間程度。
時間にして深夜2時すぎ。
絵に書いたようなお手本どおりのパニック発作を起こし、リビングへ駆け込んだ。
妻の運転で車に乗り、救急外来で大きな病院へ搬送。
これから13年間に渡って、僕のパニック障害にまつわる数々の物語が誕生するのです。
noteにはその回顧録を記していきます。
同じ境遇の方たちや、共に闘ってる仲間に見て頂けると嬉しいです。
私の13年間+現在進行系の闘病記録、、、
はじまります。