小学一年生の心温まるエッセイに学ぶ、多様性を受け入れるということ
先日、北九州市主催の「第14回子どもノンフィクション文学賞」で、小学一年生のエッセイが大賞に選ばれ、話題となりました。
数あるネットニュースではASD(自閉症スペクトラム症)のお母様がことが書かれていることについて、多様性やSDGsと結び付けて報道するものが多くありました。しかし、実際に作品を読むと、私たち大人がつい見逃してしまう、大事なことが書かれており、心の奥をえぐられるような恥ずかしさと、共感の喜びの勢いで、すぐにパソコンを開け、この文章を書いています。
今回のnoteで、このエッセイを紹介するに至ったのは、こんなエピソードがありました。
■ある失言ニュースがきっかけで
数日前に、ネットニュースで、あるタレントが番組内でした失言が元で、番組へのクレームが多発し、SNSなどでも炎上していると報道がありました。
その言葉は、当事者を見下しているようにも取れる内容で、なぜ司会者は止めなかったのか、なぜ編集しなかったのかなど、ご本人以外にも飛び火が飛んでいる状態になっています。
検索サイトで『○○○○(タレント名) 失言』とニュース検索をするだけで、半年おきくらいのニュースが引っかかるほどコンスタントに失言でニュースにネタ提供のあるこのタレントさんは、以前別のインタビューで、ご自身が『ADHD(注意欠陥・多動性障害)』で辛い思いをされていたことについて語られていたこともあり、
「きっと今回の失言も、ADHDの症状のひとつだろうな」
と思い、わたしは下記のツイートを流しました。
すると、友人から下記の内容のリプライをいただきました。
「相手に『自分はADHDだ』と言われると、その後何を言われても黙って我慢しろと言われているように感じる」
言う側も聞く側も経験のある私としては、友人の言葉が痛いほどわかるのとともに、自分では止められないこの症状への、解決策が分からない心の叫びをわかってほしいと、すがりたくなりました。
■認めてほしい当事者、押し付けられる周囲の人
ADHDだけでなく、ASD、HSP、蛙化現象など、インターネットの普及とともに、その言葉の認知は広がっています。それまで原因がわからず、人と違うこと、人より劣っていることについて悩んできた人たちにとって、原因があることが分かることで、自身を受け入れ、生きやすくなった人も多いはずです。
一方で、それを公表することにより、聞いた側の人たちは、自分が傷つけられても、それを言及すると自分が差別をしているように感じてしまい、何も言えなくなる人もいるのです。
これでは、ただの我慢の押し付けです。なにも解決していません。
以前、noteで記事にしたように、私は昨年の夏病院で「ADHD・ASDのグレーゾーン」と言われました。
言われた当初は、私の四十数年の悩みや自己嫌悪の雲が晴れていき、うれしくなって、周りに「私、こんならしいよ」と言っていました。
しかし、聞いた人たちの腫れ物に触るような反応を感じ、きっとこれはポジティブに扱えない話だと思い、それ以来気を付けています。
個人的には、自分が何か失態をしていると「また症状が出てるよ」と言ってほしいし、親しい友人には実際そう言ってくれる人もいますが、お相手の性格や関係性など、すべての方にそれができるわけでもなく、ひょっとしたら自分自身、たくさんの人に我慢を強いていたのかと、深く反省しました。
■大賞に選ばれた作品について
「うちのかかはちょっとへん」
から始まる、第14回子どもノンフィクション大賞に選ばれたこの作品は、あいまいな言葉や騒がしい場所、人の気持ちを察することが苦手な作者のお母様について、この後生まれてくる兄弟に向けた取扱説明書としてかきはじめるところから始まります。
ASDは人により症状が異なり、本だけではわからないことがあるため、お母様にインタビューし、作者自身が自身の考えとともにその症状を受けいれていきます。
このエッセイで作者自身は、お母様の症状を受け入れ、ご自身でできる接し方を模索しています。そして、まだ見ぬ兄弟にもそれを実行してほしいと言っています。
最後の決断も含め、教えられることはたくさんあるので、ぜひ、本文を読んでみてください。
https://www.kitakyushucity-bungakukan.jp/wp-content/uploads/2023/03/No14.pdf
(該当作品は10ページからです)
■違いを『受け入れる』ということ
障害だけでなく、ジェンダーや人種など、今は多様性を受け入れる考えにシフトチェンジしています。
しかし、マイノリティのすべてを肯定することが受け入れることではありません。
多様性であるということは、考えや思考も様々にあるということで、すべてを肯定するということは、それぞれの思考の多様性を否定していることになります。
まずは、いろんな人がいることを知り、受け入れる、そのうえで、自身の考えが否定的なものであってもそれは悪いことではありません。
また、当事者も、すべての人が自分を受け入れるわけではないということを肝に銘じておく必要があります。
■終わりに
先に述べたタレントの失言騒動は、いずれにしても許されるわけではありません。しかし、もし関係者の方にADHDについての知識があれば、失言が出た時点で何かしらのフォローができたのかもしれません。そのフォローにより当事者も気付くことができれば、次回以降失言の数は減っていくでしょう。
まずは知ること、それが多様性を受け入れる第一歩です。
私たちに大事なことを教えてくれた、エッセイ作者とご家族には、新しい家族とともに幸せな日々を過ごしてもらいたいです。
■参考
子どもノンフィクション文学大賞
「違いを認める=相手が正しいと受け入れる」ことじゃない
失言ニュース