人にはどれだけの蔵書がいるか
「図書館の人って、自宅にもさぞたくさん本があるんでしょうね?」と言われることがあります。
もちろん人によります。本の山に埋もれて暮らしている人もいれば、そもそも本好きではなく自宅に本などない、という人もいます。
ちなみに私は、自宅の蔵書を数えてみたところ、漫画や雑誌を入れても、430冊くらいでした。日本人の平均値より多いかもしれませんが、本好きとしては少ないのではないでしょうか。
自室に天井突っ張り型本棚がひとつあり、そこに収納できる量しか持たないことにしています。図書館で借りて済むものは借りて読み、買ったものでも読み終わって手元に置くほどでもないと判断したら右から左に売ってしまいます。読んでないけどとりあえず持っている、いわゆる積読というものはありません。
単にお金がなくて家が狭い、という事情もありますが、意図的に本を増やさないようにしています。
よく、猫の多頭飼育崩壊が問題になっていることがあります。荒れ果てた家に数百匹もの猫が押し込められて不潔な環境で放置されているのは、報道を見るだけで胸が痛みます。
本もそれと同じで「きちんとお世話できる以上の数を所有する」のは虐待ではないかと思うのです。
適正な蔵書数とは
資料組織の観点からは、一般的に「蔵書が二千冊を超えると、なんらかの機械的な整理方法を導入しなければ収拾がつかなくなる」と言われています。
つまりそれくらいの数になると「たしかその本はこのへんにあったはず」というのが通用しなくなる、ということです。普通の住宅でその蔵書数だと「段ボールに詰めて押入れに突っ込む」「本棚の手前にも二重に本を並べているために奥の本が見えない」「床に平積み」などの状況に陥りやすいので見つけにくい、という理由もあるでしょう(逆に言えばその手のことをやり始めた時点で、適正な蔵書数を超えているといえます)。必要な本がすぐ出てこないと結局使えなくなり、同じ本をまた買ってしまう、ということも起こりがちです。浴室やトイレ、換気設備のない地下室・屋根裏といった不適切な場所に保管してカビなどが発生することもあります。
多すぎる蔵書は生活も圧迫します。カビが発生すると健康被害も出かねませんし、災害時にケガをしたり、逃げ道を塞いで避難が遅れる原因になります。自分が本の下敷きになるのはまだしも、罪もない家族を犠牲にするわけにはいきません。
もちろん二千冊というのは目安なので、家が広くてゆったり収納できるとか、超人的な記憶力でどこに何があるか全部わかるとか、家事専従の家族がいて蔵書の管理もやってくれるとか、恵まれた条件の人であればもっといけるとは思います。
ちなみに「機械的な整理方法」とはどんなものかと言うと、
・本を一定の分類法(NDCとか)に従って分類し、
・請求記号を決めて背ラベルを貼り、
・書誌情報と請求記号が書き込まれた検索可能な目録を作成し、
・請求記号の順番に並べて収納する
ということで、要するに「自宅を図書館化する」勢いになってしまいます。自分が「休日司書」になるかお抱えの司書が要ります。
実際、世の中には個人が私財を投じて収集した本をきちんと分類・整理・保管して公開している私設の図書館・資料館が各地に存在しており、後世の私たちも恩恵を受けているので、財力と実行力のある方はぜひやっていただきたいところではありますが、現実にはなかなか難しいようです。
愛する本と長く一緒に暮らすために
私は本を持たない派ではありますが、だからこそ手元に置いた430冊は厳選したたいせつな本で、折にふれて読み返しています(読む、というのも保存に有効なようです。埃も落とせますし、風通しも良くなります)。もし火事で自宅の本が全焼したらかなりショックです。
結論としては、自分が適正に所有できる冊数をみきわめて大事に保管し、それ以外は図書館や中古品買取サービスや電子書籍をうまく利用していけばよいのではないでしょうか。
※ちなみに記事タイトルは、トルストイの『人にはどれだけの土地がいるか』のもじりです。