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積読礼賛のススメ 『積読こそが完全な読書術である』

「積読」という言葉を口にするとき、大抵は「もうしわけなさ」の感情が伴っている。私の友人、知人には本読みさんが多くて、話を聞くと、皆100冊、200冊と積んでいて、その事に心を痛めている。

私はね、かねてより積読には肯定的。肯定的というよりも、推奨すらしている。だから「積読が増えてきて後ろめたい」という話を聞くと、そんな事はない、積読は最高なので続けよう! と、力強く返してしまう。

だって、積読だけ集めた棚を作ってみてください、家中から積読になっている本、再読を決意した本を集め、書棚の一箇所に集めて並べます。

ほら、自分の好きそうな本だけが並ぶ素敵な書店の出来上がりです。全部、自分が読みたかった本ですよ。

しかも、本が読みたくなったらすぐに選べてすぐに読める。決済はとっくの昔に済んでいる。Amazonでもヨドバシドットコムでも、こうはいかない。

さらに、私は積読の前段階のカート積読も活用している。これはAmazonの欲しい物リストやカートに本を溜め込んでおく方法で、「積読書店」に仕入れる前の評価段階のものを入れておく場所だ。他の方の書評をみて面白そうだけどすぐに買うほど盛り上がらない本、書店でみかけて気になったけどすぐに買わなかった本は、とりあえずAmazonのカートに入れておく。そして、本を見つけたときの興奮が収まるまで寝かせておき、改めてカートの中身を確認し「やっぱり要らないから削除」「このままカートにステイ」「購入する」の3つに分類する。

この2階建て積読方式で、積読書店の品揃えが「いい感じ」になるよう常に腐心している。そんな事やってないで読めって言われそうだけど。

ちなみに、この積読書店も1年に1回程度だけど整理をすることもある。どうしても興味が薄れて読まないだろうな、という本が出てきてしまう。そういうときは、パラパラと目次、はじめに、あとがきを読み、妻にお願いしてメルカリに出してもらうか捨ててしまう。

ちなみに、私の書棚のメイン積読エリアはこんな感じ。そうそう、読みたいと思っていたんだよねぇ、という本ばかりでワクワクする。

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積読って、本好きにとってはワクワクしかない。こんな風に考えるアイディアを思いついてからは、積読が娯楽になりましたよ。もしかしたら、本を読むより積んでいるほうが楽しいかもしれない。

この積読を充実させるため、書店に立ち寄っても「今読みさしの本で紹介されていた参考文献で気になってメモをしていた数冊を揃えておくか」とか。

「今読みたいわけじゃないけど今買わないと絶版になって二度と手に入らなさそうな本なので念の為買っておくか」とか。

「新刊が出たら自動で買う著者リストに乗っているからとにかく買っておこう」とか。

こんな調子で本をどんどん購入してしまう。でも、それで良いのです。

先日もSNS上で積読に後ろめたさを感じている友人の登校に、上記の話を2行くらいに要約してコメントしたりしていたのだけど、そのコメントの直後、積読の話をした後だからなのか、書店で凄いタイトルの本が目に飛び込んできた。

『積読こそが完全な読書術である』(永田希)

読んでみると、私が展開する「自分の好きそうな本だけが並ぶ素敵な書店」論なんてチリになり揮発し霞むほどに熱量の高い積読推進本であった。

正直、読み始めてしばらくは論点がつかめず、最後まで読むのを諦めて積んでしまう直前だったのだけど、世の中の「読書本」の総括みたいな話になってきて盛り上がりはじめ、結局最後まで一気読みをしてしまった。

本書は、本のタイトルの通り、積読こそが読書であると啓蒙するものだ。

本書は読者に「積読」を勧めるものです。(P17)

今の時代、本を読み、楽しもうとすると、どうやっても積読からは逃れることが出来ない。

それどころか、本にかぎらず世の中にはコンテンツが溢れるように流通し、ゲームにドラマ、映画、美術展、レストランにバー、レジャー施設と、体験したいけど、とてもしきれないコンテンツが山のように積まれていく時代だ。著者はこれを情報の濁流と呼び、私達が楽しみきれないコンテンツの濁流からいかにして身を守り、手元にコントロールされた「積読」環境を作り上げるかを解く。古今東西の読書本を紐解き、現代の読書論にリンクさせていく試みも面白い。

積読にうしろめたさを感じる必要はない。それどころか積極的に積んでいこう。うん、面白かった。勇気と元気が出ました。

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