見出し画像

モヤモヤする○○女子

こんばんは、ふくです。どうしても書きたくて、自分の感情を書き殴るような感じになってしまいますが読んでいただけたら嬉しいです。ちなみに私も美術館を訪れることが好きなので尚更モヤモヤしました。

Twitterのトレンドで発見

ゴロゴロしながらTwitterを見ていたら、トレンドに「美術館女子」というものがありました。「なんだなんだ」と思ったので該当記事を読んでみたらまぁ下世話な内容で。内容も信じられなかったのですが、1番信じられなかったのは「○○女子」という言葉を使っていたことでした。「○○女子」という言葉が好きではないんです。何故好きではないかを書いていきます。

「○○女子」という言葉が好きではない理由

何故私が「○○女子」という言葉があまり好きではないと言うと、単純に馬鹿にされているような気分になるんです。真面目に好きなだけなのに茶化されているようなそんな気分にさせられます。

どうして私がそこそこの拒否反応を示すかというと、私が高校生の頃まで遡ります。私が高校生の頃「歴女」という言葉が流行りました。戦国BASARAや薄桜鬼が流行った時代です。二次元のイケメン武将達からゆかりの地に行ったりという「歴女ブーム」が起こったのです。これに対しては何とも思いませんでした。「あぁそうなんだ」、そんな程度です。ただ自分が言われるのがどうしても嫌でした。

私は小学5年生の頃から歴史が好きでした。中学校に入学してから「歴史の研究がしたい」と漠然と考えるようになり、高校生になってからは「大学は史学科に行って日本近現代史の勉強をするんだ」ということを目標にしていました。私は真面目に好きだったし真面目に勉強したかったんです。ブームになる前から日本史が好きで史学科に行きたかったのに、どうしてそう言われなければならないのか分からずすごく不愉快だったことを覚えています。

どうして不愉快に感じたかというと「○○女子」という言葉に「ミーハー臭」がしたんです。私が日本史が好きなのはミーハーじゃなくてガチでした。ミーハーと一緒にされるのがとにかく嫌だったんです。要は熱量の違いを一括りにしてほしくなかったのです。

だからと言ってミーハーを否定するつもりはありません。何かにハマるキッカケはミーハーからということが多いと思っているからです。最初は「ミーハー的な好き」でも「ミーハー的な気になる」でもいいと思っています。そこから「沼にハマる」のか「適度に好きを保つ」のか、それとも「ミーハーで終わる」のか。それは人それぞれです。その「人それぞれ」に口を出すつもりはありません。

ちなみに本題と大きくズレるのでサラッと書きますが、周りの方々に支えられ、努力の甲斐あって無事に史学科に行けましたし日本近現代史のゼミに入ることが出来ました。そこで友人にも恵まれました。

そもそも「○○女子」って言葉はいりますか?

私はいらないと思っています。むしろこの時代に好きなものや趣味に対して性差は必要ですか?私は必要でないと思います。確かに男性が多い事象の中に女性が多いとなった時に「○○女子」と書いた方が分かりやすいと思います。ただ茶化されているような、馬鹿にされているような、そんな気持ちになります。逆に本来女性の方が多い事象の中に男性の割合が多かったら「○○男子」と書きますか?「料理男子」という言葉はありましたけど、私はその言葉以外見たことがありません。私自身が情報を得てないだけかもしれませんが。

好きに性差はないはずなのに

今回の「美術館女子」の記事内容は50~60代の男性向けでした。作品知識を披露して若い女性と仲良くなろうという感じの内容でした。正直「美術館をおじさん達のナンパ会場にするんじゃないよ」と思いましたが、それ以上に美術館に行く人って若い女性だけではないことが何故分からない、何故敢えてそこに焦点を当てて「美術館女子」だなんて言葉を生み出すのでしょうか。そもそも美術館は男性だって来ますし、なんならカップルだって夫婦だって老夫婦だって家族連れだって友人同士だって1人でだって、訪れる場所じゃないですか。知識量に差があれど絵を見たりすることが好き、なかなかこういう絵を日本で見れないから見たい、色んな理由で美術館を訪れるわけですよ。それなのにどうして「○○女子」という女性だけ区別されなければならないんですか。記事の趣旨的にそうならざるを得ないのでしょうが。ただ「もし」を考えなかったのでしょうか。もし「美術館男子」という言葉を生み出されたら。内容が「50~60代の女性が美術館男子に対して知識を披露し、あわよくば仲良くなろう」という記事が出てきたら。記事を書いた男性はどう思うのでしょうか。その記事を読んだ世の男性はどう思うのでしょうか。

好きなものや趣味に対して性差なんてなくて当たり前の時代なのに、誰が何に対して好きかなんて、それはその人自身が決めることなのに、何故外部が勝手に言葉を作って区別させるのでしょうか。私はすごく疑問です。モヤモヤです。

終わりに

書きたいことがまとまってない形になってしまいました。もしかしたら的外れかもしれません。

言いたいことは2つで、

「熱量を一括りにしないで」と「好きを性差で区別しないで」

ということでした。

その人その人の「好き」と言えるものがどうかくだらない理由に縛られず自由に語り合えますように。願わくばそれが外部に邪魔されない時代になりますように。。。


いいなと思ったら応援しよう!