3か所渡り歩いたアナウンサーの葛藤
初めまして。復活アナウンサーのイカと申します。現在36歳。女性です。
#note書き初め として、私のこれまでをつづります。
■1局目 NHK地方局の契約キャスター時代
大学卒業後、NHKの地方局のキャスター・リポーター(契約)になり、各所に電話取材→県内各地の現地取材→企画書提案を経て、自分の放送枠を獲得し、月に数回テレビに出演する日々を3年続けました。
毎日テレビに映る華々しいアナウンサーになりたい!!と思い、セカンドキャリアとして地方民放局を受験。5~10社くらいエントリーして、内定をもらい、引っ越し。契約社員(アナウンサー)として入社しました。
■2局目 地方民放局の契約アナウンサー時代
念願かなって、内定と同時に出演するのが夕方帯の情報番組のメインMCとわかり、ウキウキ♪
NHKキャスター時代と異なり、民放ならではの取材の仕方に慣れない。同時期に入社した大卒の子は、アイドル並みにファンがいて、自信喪失…
毎日放送に出る!という夢は達成したものの、自分のダメさと向き合う日々でした。1月、番組責任者に「3月いっぱいで辞めてもらう」と告げられたのです。
急遽、その時に出ている採用情報をチェックして、すぐに応募。1つ目がチバテレビ。玉砕。面接後の飛行機で履歴書と作文の内容を考えて、夜に応募書類を仕上げたNHK地方局(首都圏放送担当エリア)に出し、翌週に再び面接を受け、採用が決まりました。
■3局目 NHK首都圏域局 契約キャスター時代
1局目とやることはほとんど同じ。少し違っていたのは、県域放送で地元の人に伝えるのではなく、首都圏(1都6県)にお住まいの方に向けた放送だということ。そして、県域にはラジオ番組(1時間生放送)を担当することでした。
毎日放送に出る!というのは2局目でクリアして、アウトプットし続けることにも少し疲れていたので、取材することもでき、ラジオやテレビを通して伝えることにより一層向き合えた時期。
でも30歳目前。
「結婚」「妊娠」「出産」を意識するようになりました。
契約の身では、産休・育休は取れません。契約を解除するしかなく、その後の復帰も自力で再エントリーするしか手段がありません。
契約キャスターのまま、結婚をする選択をし、フリーとして事務所に所属することはせず、妊娠・出産という流れになりました。
それによって、「復活困難なアナウンサー」が誕生したのです。
今後は、イカが、どうやって「アナウンサー」として復活するのか、奮闘の日々をアップしていきます