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【ショートショート】伝統

 スマホが鳴った。画面には上司の名前が表示されている。
「いま酒場にいるんだ。ちょっと出てこないか」
 壁時計をみると、午後九時。
「ぼく、飲めませんが」
「ノンアルでいいよ」
 二十分ほど歩いて、指定の店についた。
 上司はメニューを広げた。
「この店、ノンアルが充実しているんだ。カクテルもある」
 ぼくはカシス・オレンジのノンアルを頼んだ。
 なにか用事があるのかと思いきや、雑談が続く。
 ぼくの話を聞いていた上司が、
「けっこう喋るじゃないか」
 と言った。
「そうですかね」
「ふだんはすぐ黙るからな。ひょっとして三人以上いたら自分は聞き役でいいと思ってないか」
「バレてましたか」
「そのくらいわかる」
「とくに喋りたいことがないんです」
「いいね」
 と上司は言った。
「おれはそういうやつから話を聞くのが大好きなんだ」
 自分と同じ匂いを感じた。
 五年後、ぼくにも部下ができるようになって、気がつくと上司と同じようにピックアップしたサシ飲みをしていた。

(了)

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