見出し画像

【ショートショート】消えた記憶

 アパートの一室。その窓際。
 ふと気づくと、クボタはあかね雲を眺めていた。
 私は誰? ここでなにをしている?
 窓枠からピンクのカーテンがぶら下がっている。洗面所のコップには歯ブラシが二本。同居人の気配がするが、六畳一間に自分しかいない。
 ひと晩眠ると、自分に関する記憶がよみがえった。クボタは大学の二回生で、週に三回コンビニでアルバイトをしている。
 けれども、直近三ヶ月ほどの行動がまるで思い出せない。首をひねりつつ、クボタは日常生活に戻った。
 駅前の雑居ビルに「君に胸キュン」という店舗をみつけた。他人の記憶を再生して楽しむ施設らしい。お値段はちょっと高めだ。
 店内には「今月の売れ筋」と書かれた商品の写真が並んでいる。その中に自分の顔を見つけてびっくりした。
「なぜぼくの写真が。ちょっとこれを見せてください」
 髭を生やした店長が近づいてきて、まずいなという表情をした。
「当店は没入型の恋愛シミュレーションアミューズメントでございます。ご本人様のご視聴はお勧めいたしません」
 クボタは店長のことをはじめて見るが、向こうはクボタを見知っているようだ。
 ここに消えた記憶のヒントがありそうな気がする。
 クボタは三万円を店長に押しつけた。
「いいから、見せてください」
「しかたありません。しかし、彼女の現状をお教えするわけにはまいりませんよ」
 クボタはうなずいた。個室のシートに寝そべり、大きなゴーグルで頭から顔を覆う。
 コンビニで目の覚めるような美女と出会い、彼女と同棲するまでの一ヶ月と、それから二ヶ月間の夢のような恋愛生活が再生された。
 記憶は埋まった。
 どうも自分は、恋愛体験をお金に換えてしまったようだ。きっと彼女も同意したのだろうな。
 深い喪失感。クボタはアパートまでとぼとぼと歩いて帰った。

(了)

目次

ここから先は

0字
このマガジンに含まれているショートショートは無料で読めます。

朗読用ショートショート

¥500 / 月 初月無料

平日にショートショートを1編ずつ追加していきます。無料です。ご支援いただける場合はご購読いただけると励みになります。 朗読会や音声配信サー…

新作旧作まとめて、毎日1編ずつ「朗読用ショートショート」マガジンに追加しています。朗読に使いたい方、どうぞよろしくお願いします。