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【ショートショート】樽虫

 姪っ子の結婚式に出席してきた。
 神前式の結婚式であり、披露宴では鏡開きが行われた。
 お代わりしてがぶがぶ飲んだ。
 泥酔して式場をあとにすると、前のほうを四斗樽がとことこ歩いている。
 ついに幻覚が出たか。
 私は駅のほうに向かわず、樽のあとをついていった。
 樽は、郊外に向かって歩いて行く。そういえば、この先に酒蔵があった。
「おーい」
 と私は声をかけた。
「酒蔵に帰るのかい」
「へーい」
 と樽が答えた。
「その通りでございます」
「おまえは酒樽かい」
「いいえ、樽虫でございます」
「樽虫」
「はい。背中に樽を背負った虫でございます。ただ、樽に酒を満たされると重たくて動けなくなってしまうのです」
「ようするに酒樽じゃねえか」
「はい。酒樽を職業としております」
「もう酒は残っていないのかい」
「ぜんぶ空になりました」
「ちぇっ」
 私は樽に抱きつき、くんくんと匂いを嗅いだ。
「いい匂いだ」
「やめてください」
 樽虫は身をよじっていやがった。
 蓋がぽんと跳ね上がり、私の顎を直撃した。
 気がついたら、次の朝だった。
 私は往来で大の字になっていた。
「ああ、よく寝た」
 へんな夢をみたな。酒樽が歩いていく夢だ。縁起がいいのか悪いのか。
 私は駅までタクシーに乗って、特急列車に乗った。
 指定席にいくと、隣の席には酒樽がいた。
「昨日はどうも」
 私は夢のなかに引き返したような気分になった。
「なんでおまえがこんなところに」
「休暇をもらって、旅に出るのです」
「へええ」
「念のため申し上げますが、いまは樽に酒は入っておりませんので」
「そんなに意地汚なくないよ」
 私は車内販売のワゴンにビールとコーヒーを注文した。
 樽虫にコーヒーを渡す。
「おまえさんの旅がうまくいきますように」
「あなたが泥酔しませんように」
「乾杯」

(了)

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