【ショートショート】家宝
縁側をさわやかな風が通りすぎる。
父は勤めていた会社を定年退職すると、とくに新しい仕事に就くことなく、日がな一日縁側で胡麻をすっては時間を潰している。
ある日、めずらしく父の姿がないので、
「お父さん、どこ?」
と聞いたら、
「蔵の中」
という返事が返ってきた。
「なにしてるの?」
「整理だよ。このへんは掛け軸。これは茶器だな」
「いろいろあるね」
「みんな、ガラクタみたいなもんさ。いくらにもならない」
父は奥に入っていって、桐の箱から黒い陶器を取り出した。
「立派なすり鉢だね」
「価値のあるのはこれだけだ。信長公、秀吉公、家康公へと受け継がれ、家康公の馬廻りだったわが先祖がいただいた銘品『ひまつぶし』だ」
「そんなすごいものが」
「それ以来、わが家系はゴマすりと呼ばれていたらしい」
私はちょっと嫌な気持ちになった。
「このすり鉢、たいへん霊験あらたかでな」
「どんなふうに?」
「わしなど、一度胡麻をすっただけで、就職に成功した。あまり使うと畏れ多いからその一度だけにした」
「そんなすごいものなら、私も試したい」
すぐに結婚が決まった。私には過ぎた妻だ。
やがて、父は亡くなった。
いまの日常にとくに不満があるわけではない。
父の残したすり鉢を受け継ぎ、私もひまをみつけては、縁側で胡麻をすっている。
「楽しい?」
と妻が聞く。気持ちはわかる。私もそう思っていたから。
妻にもいつかひまつぶしをすってもらわねば。彼女にはどんな幸運が舞い込んでくるだろうか。
(了)
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