【ショートショート】お金が見ている
ある朝、不安な夢から目覚めると、私は一億円の札束になっていました。
私の姿を発見したのは、いつもの時刻を過ぎてもあらわれない私を起こしに来た母親です。
母はベッドがもぬけの殻であることに驚き、毛布をめくると、そこに分厚い札束があることにもう一度驚きました。
母はあわてて父を呼んできました。
失踪事件ですから、当然、警察がやってきます。その前に父母は一億円を自分たちの箪笥に隠しました。賢明な判断だと思います。
それから、お金の使い道について侃々諤々の話し合いをしていました。結論は、看取り付きの高級老人ホームへの入所でした。なるほど、堅実な判断です。
私は両親の元から老人ホームを経営する会社の経理へと渡り、すぐに銀行に預けられ、さまざまな場所に散っていきました。
身体が分散していくというのは妙な気持ちです。
五感が限りなく広がっていくというか……海外に渡った一万円札もありますし、違法取り引きに使われた一万円札もありますし、子どもの小遣いになった一万円札もあります。
私は世界中に遍在しています。
その視線はまるで神様のよう。
すべての情報を吸収しようとすると気が狂ってしまいますから、適当につまみ食いして、世の中の移り変わりを眺めています。
まるで不老不死を得たようですが、これも電子決済に置き換わるまでのほんの一瞬のことに過ぎないでしょう。
「なんだあ。受け取れないだあ」
酔っぱらいの大声が聞こえました。
「いまどき現金なんてねえ。一万円なんて出されてもお釣りがありません」
「釣りなんかいらねえ」
「いや、困るんですよお客さん」
こんなトラブルが増えてきたように思います。
短い間でしたが、じゅうぶん世の中を見せていただきました。それではみなさん、さようなら。
(了)
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