妄想の行方
1. A子との出会い
74歳のA子は3.11東日本大震災の原発被害により転居を何度か繰り返し、現在は汚染地域から100km離れた、O村の仮設住宅に住んでいる。
山里を整地したこの仮設住宅は、2LDKの息子との二人暮らしをするには、住み易く十分な広さであった。買い物するにも車で15分のところに大型スーパーがあり山里とはいえ、日常生活にそれほど不便さはなかった。
人生の流転を余儀なくされたA子は、行政の勧めるままに、50歳の息子と共に見知らぬこの地に牽引されてきた。息子は隣町に仕事を見つけ、しばし生活の落ち着きを取り戻せるかのように見えた。
ある日、私の訪問介護事業所に地域包括支援センターから、A子の介護依頼の電話が入った。
依頼内容はこうであった。
「A子は息子が出勤すると、カーテンを閉め切った部屋の中で、昼食も摂った形跡もなく、1日中籠っているらしい。地区の民生委員が行事の誘いや、息子が隣人との交流を勧めても応じることがなかった。そのため地域包括支援センターが動き、訪問介護領域のアプローチとなった。
A子はO村の仮設住宅に移転して間もなく、生活行動に異変が見られたようだ。その集合住宅には家を追われ、共に仮設を転々として来た同地区の住民が大勢いた。数年の苦労と生活の場を共有して来た住民は、地元住民よりも格段の結束力の強さを感じていた。
だが時の流れとともに、それぞれ転地環境の順応性の違いが現れ、永住を選択し新居を構える準備を図る人たちの現実を眼前にして、ますます膨らむ郷愁に苛なまれ、人生の岐路で足を竦ませている人もいた。
進み始めている周囲を抗うように、過去に執着しながらも、焦りと不安で苦しんでいる現状があった。
苦難を乗り越えた同郷人であれば尚の事、傷口を引きずって来た共感に不協和音が生じた現実に、不信や不満が表出してきたのも無理もない。
高齢者は世代の集合体であった家族形態も離散され、単一家族としての独自生活が築かれて去っていく寂しさも、取り残された孤独を相乗させてしまっていた。
A子は介護保険認定検査の結果、身体的問題もなく、認知症状と該当される項目へのチェックも、「日常生活に支障なし」と判定されたため、非該当者となり保険利用は出来なかった。検査時のA子は「心の闇」を隠し、建前を装っての答えだったため、健常者と判定されたようだ
心配されていた日常行動も、新しい環境に順応すれば解決できる可能性ありと判断された。
だが息子はきちんと食事を摂らない母の身体を案じ、当事業所の全額自己負担のサービス利用契約を希望した。希望内容は、A子の安否確認を含む話し相手と昼食の配膳であった。
本人のA子は他人との関わりを嫌い「自分ができる」との思いが強く、この契約を承諾したわけではないため、訪問しても玄関を施錠したままの拒否姿勢を取った。
とにかく家に入れてもらうための策を練らなければ、息子の望むサービスは実施出来ない。そこで息子と打ち合わせをし、「今日の昼に、友達のお袋が俺に頼まれた物を届けてくれるから、玄関のドアを開けて家に入れてくれ。」とA子を言い含めてもらうこととした。「子どもの面子を潰すような失礼な態度は出来ない」という、母親の心情を利用したわけだ。息子の言う「届け物」とは、私達が訪問途中に買う昼食弁当のことである。
案の定、A子は作り笑顔で玄関のドアを開け、訝りながらも家に入れてくれた。家に入れれば言葉を投げ掛けながらその先の行動は作れる。
このような稚拙な作戦ではあったが、訪問を重ねるうちにA子の警戒心が解け、私が何者であるかも解って受け入れてくれた。
ある日A子は心に抱える苦しみを明かし始めた。誰かには聞いてもらいとの思いがあったのか、堰切るように話し始めた。
A子が語るに「私の頭の中には魔物が住み着いているの。たくさんの虫が頭の中を這いずり回って、一晩中眠らせてくれない。恐ろしくて胸が締め付けられるように苦しくなる。朝になると虫たちはいなくなるけど、今度は部屋の中で人の騒ぎ声が聞こえて来て・・・。また夜になるといろいろな生き物が、現れては消え消えては現れる。こんな毎日が繰り返されて苦しくて、私の頭はどうにかなってしまったのね?!」
瞳を空(くう)の一点に置いて虚ろに話すA子は、耐えがたい苦しみで肩が萎えていた。
高齢者のA子の訴えは症状すれば、幻視や幻聴症状のあるレビュー小体型認知症等の高齢者認知症?と診断されるであろう。
A子の心的症状の基軸は事実に沿った話だが、その先は妄想が触覚を揺らしながら自在に動き回っていた。視、聴、触、痛の感覚が脳内で感知され、それは妄想とA子自身も認識しているところがある。
基底にある抑うつ症状の存在を、見逃されていることが、A子の苦しみをより一層にしているかに思えた。
このようにA子の記憶力は加齢による低下はあまりなく、感覚だけはますます鋭くなっていった。
猜疑心の妄想も強くなり日常生活にも支障が出始めた。
「昨日二人の男が来て、私に聞き調査をして帰った後、テーブルに置いてあった犬の貯金箱のお金が無くなっている。あの二人が貯金箱を盗んでいったに違いない。だから私は人を信用しないの。でもあなたは信用しているからこんな話をするんだから。」
確認すると、行政の二人の男性職員が訪問したことは事実であった。
妄想に浸食されていくA子は、都合のいいストーリーを創作していき、私を妄想の世界へ誘うことで、自分のアイデンティティを保っているように思えた。
A子の妄想は、精神障害の領域では?と考えたが、心許した者だけの打ち明け話となれば、正常な彼女が何かの意図をもって創作しているのではないかと、他言する事に慎重になる自分もあった。
とにかく、脳神経内科の検査の必要性を感じ、家族にも分からないA子の心のシャドーを、地域包括支援センターの担当の相談員に報告した。
報告後A子の訪問サービスは終了し、その後の検査うんぬんの情報を耳にすることはなかった。
2. ある映画を観て
あれから半年過ぎたある日、私はスコセッシ監督の封切りされたミステリー映画「シャッターアイランド」を観た時のことである。
精神障害者収容の島「シャッターアイランド」に起きた謎の失踪事件解決の使命として訪れた、捜査官の現実と妄想の交差する難解な映画であった。
捜査官の妻はうつ病の自殺願望があり、我が家を放火してしまう。家族は無事であったが、夫は妻の自殺の再発危機を避けるため、湖のある静観な環境に佇む家に移り住む。
だが夫の不在時に、妻は三人の子供を湖で溺れさせて殺してしまう。帰宅した夫は子供たちの惨劇を目の当たりにし、妄想の中で一瞬「私を楽にさせて!」と乞う妻を射殺する。
放火自殺未遂事件を犯す前に妻は、夫に「私の脳の中で虫がもぞもぞ動き回って、あちこち線を引っ張っているの!」と精神に異常を来し始めた自分の苦しみを、訴えていた。だが夫はうつ病の妻の言葉を受け止めることもせず耳を塞ぎ、逃げるように酒に溺れ家庭を顧みなかった。
悪夢のような事件の事実から逃れるために夫は、現実と妄想が混在した世界を交差させ狂気を増していき、精神病院(旧名称)へ収容された。
この映画が私を慄然とさせたのは、妻のセリフが、A子が私に訴えたあの言葉と。あまりにも酷似していたことと、妄想の世界が彼らの生きる現存の場となって行くことである。
この三人(A子、捜査官、その妻)が辿って行った妄想のプロセスを考えて見たいと思った。
3. 妄想の行方
妄想の行方はどこなのであろうか?
抱える苦しみが限界を超えて膨らんでしまうと、自己抑制が効かず狂気への行方となるのか、それとも解離性障害という別人格を出現させて、自分から逃れる結末を迎えてしまうのか。
現実の出来事と映画のフィクションから「うつ病」の共通する妄想の表現が、「脳の中の虫が神経の線を引っ張る」感覚が主軸となって人格を混乱させている。
存在しないものを絶対的に存在させるのが妄想といわれる。思考を司る脳内に存在させる、これらの妄想はどのようなプロセスによって脳で創られるのか考えてみたい。
うつ症状から妄想へと精神を脅かす前に、こころ(考え方)のモチベーションによって、予防または軽度に止められる段階を思索出来ればと思う。
周囲が発症に気づき診断を受け頃には「抗うつ剤」という医学的服薬処方の治療となってしまう。そうすると薬に依存した生活が続く。私達には本来心身に持っている治癒力があるはずである。自力では出来ない現状でも理解者に自分を委ね、共に考える姿が必要ではないか?
ある日会社からの指示で、精神保健福祉の資格を持つ医師のメンタルヘルスを受ける機会を設けられた。中間管理者の抱えるストレスのカウンセリングが目的であった。
ストレス解消法や円滑な人間関係の構築の仕方など、マニュアル的講義を受けた後、医師から質問の有無を投げ掛けられた。
そこで私は「先生は大勢の患者の話を傾聴する過程で、ご自分が云わばミイラ取りがミイラになってしまう共感に、陥ってしまった経験はございませんでしたか?」と無礼な質問をして、顰蹙を買ってしまった。「そんなことはありません。プロですから!」と突っ張られてしまった。
私は心理カウンセラーとは、患者の話を傾聴するうちに、いつの間にか自分が患者と同一化してしまう感情に陥る体験があってこそ、患者の心を真に理解できるカウンセラーに成り得るという持論があったからである。
4. 私とうつ症状
私という人間は、どんな状況に陥ったとき、精神状態の振り子の振幅が激しくなり自制が効かなくなるかと考えれば、中途半端なつまらないプライドを傷つけられた時が多にしてある。精神構えが達観途上なため、時折自分を危うくさせてしまう。
私は「軽薄なうつ症状」に起床時に起こることが多い。
「毎日のこの繰り返しの生活!自分の生きている証は?意味は?」とこの年齢になっても往生際の悪い自問が始まり、やりきれない無気力感が襲い、しばらくは布団の中で天井を眺め続けた。
わたしが「軽薄なうつ症状」と名付けた理由は、このうつ症状は時間の推移と自分なりの納得で快復できるからである。「うつ」に値しない深刻さに欠けた「軽薄なうつ症状」と思える安易さを感じるからである。
だがその時は間違いのないうつ状態で苦しんでいるのである。
「うつ」の私は、哲学者たちの言葉と哲学問答を繰り返して答えを得る。
それは、ニーチェの「永劫回帰」であったり、「何ら変わりのない繰り返しの人生を肯定し、その中で自分なりの楽しみ方をする超人となること」と、思い直したりまたはカミュの「シーシュポスの神話」のように不条理と向き合い続ける葛藤すること自体、そこに意義を見出す在り方が妥当であると納得をしたりもする。
このように哲学者たちの思想を引き出すことで、うつ症状を一時的解消とできる私の方法である。
「物事が自分の意に反した方向に進んで行くその現実を直視し、そのうえで抗していくところに自分がある、」という解釈で「軽薄なうつ症状」から、いっときの脱却が図れた。その後は躓いていた時間が急に気になりだし、繰り返し行われる普遍的日常生活に埋没していく。
そして翌日また「軽薄なうつ症状」の朝を迎えている・・・。
5. 誰もがなりうるうつ症障害
憂鬱、気分の落ち込み、気力がない、興味がもてない、食欲が落ちた、眠れないなどは気分障害に分類され、うつ病の典型的な症状である。
誰もが仕事に疲れたり、人間関係でトラブルを抱えてしまったりすると、このような状態に陥ることが多いと思う。
そしてこれらの気分障害が継続し、主観的に強い苦痛を感じてくるとうつ病性障害となる。うつ病は心の風邪のようなものだと喩えられることがある。確かに10人に1人は生涯に一度は経験するといわれ、再発しやすい病気である。特に現代は新種風邪のように、うつ病の発症理由も複雑である。
罹りやすい病気ならば、風邪の予防接種投与のように、重度化させないための予防策があるのではないかと考える。それには人間の行動の根本をなす「欲求」を考えたい。
6. マズローの欲求5段階説とうつ病
現代は生命の生理的欲求、安心・安全な生活の欲求も、社会的には保障されここまでの階段は上ることに無理がない。
だが次の「上段の欲求」となる友人や家庭、会社から受け入れてもらいたい社会的欲求の段階で、孤独感や疎外感など内的な問題で叶わず、自分や社会への不満となる。
満たされない欲求に執着すると、ある人は、傷ついた自分を守るために、「うつ」という殻を作ってその中へ逃避してしまう。その世界の中で自由に妄想し、叶わない欲求を満たす。だが、妄想がエスカレートしてしまうと狂気が孕んでくる。
私たちの精神の均衡は、たわいもないことで脆く崩れることが多い。日頃自分はものごとを考える時、どのような思考が働く性格的傾向にあるか、知るべきと思う。
例えば、物事に白黒つけなければ気がすまない「全か無か思考」の完璧主義であれば、この意識が高じれば歪んだ認知となってうつ病に陥る。完璧などあり得ないことを悟り、望む余力を残して完了する考えの柔らかさがあれば、うつ病の予防薬となるのではないだろうか。人間であるがゆえに間違いも、失敗もありそれを経験したことで人を許せるようになる。
7. 私の妄想の行方
自分の哲学思想は妄想の世界と現実のボーダーラインの二極の処理の仕方を創り上げていることである。
私の「妄想の行方」は、映画であり、本であり、偉業を成し遂げた人たちである。妄想が私を、天才数学者と席を交えることを許し、その傍らで「ポアンカレ予想」の証明を考える自分がいる。決して現実では成り得ない世界へ誘ってくれ、天才の世界を享受する妄想にありつける。
それは私なりの悪意のない妄想の利用の仕方である。
この妄想は、天才の脳細胞にチョッと間借りすることで、私の脳にミクロの知識を残してくれる。そこにはちんぷんかんぷんだった天才の理論を必死に考えようとする自分がある。
おわりに
わたしが疑念を残していることは、現代においては、多くの人が精神的疾患を潜在させて生活しているのではと思う。
繰り返しではあるが、その疾患を抱える自分を、誰かが助けてくれる事を望む前に、「自分はどうすればいいのか。自分のためにはどうなのか。」を考えて欲しい。一度は自分と闘って欲しいと願う。
病が継続すれば、自虐的行為や、閉じ篭りの部屋で覗く社会は自分の存在を否定して動いている妄想に囚われ、果てに自暴自棄となり狂気に走っていくことも・・・。
誰かが特別な存在ではない。誰もがそれなりの存在を持っている。自分の意に叶わぬ存在ならば自分を一度は居直って、「ダメもともあり」と行動してみようではないか。
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