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初老のクライシス

まえがき

 老年のありかたは、介護保険法として社会保障に組み込みされ、実施される中で表出された様々な問題と、国の事情を踏まえて3年毎に改正を重ねてきた。介護保険法の理念に基づくとはいえ、ケア計画の実施においては、個人の尊厳を、諦念しなければならない事情もあった。介護現場に関わってきた者がもつ、短絡的な感情論なのか、いずれにしても、本人の願っていた余生とは、かけ離れてしまった現実もあった。

 安全・安楽な老後生活か、あるいは自分らしく生きるならば、孤独と危険のリスクを負う覚悟があるか。誰もが前者を選び、社会福祉という仕組みの中で、生を全うしていくことを願う。

 さて、ここで私が懸念するのは、老人の域に入りかけた60歳前後の人たちである。それは、ある初老の人との出会いによって、自らの立ち位置を、振り返る機会ともなった。

 60歳といえば、様々な義務感から軽減または解放され、自立の選択が持てる年齢ではないかと思う。だが迎えた岐路の前でだ、立ち往生している人達が少なからずいる。

1 美術館での出会い

 私はときおり、美術展の鑑賞など上野公園内の展示会場に、足を運ぶ事がある。

 この日も特設絵画を観るため、平日にも拘らず、長蛇の列をなしているカテゴリー中にいた。

 入場者たちは、無数に蠢く虫のごとく列を崩さず、数十秒の持ち時間で鑑賞していった。何百年経ても尚、人々の興味を引き付ける名画の前で、人垣の隙間から目を凝らし、亀のようにのろのろ通過した。

 会場の出口で、方々に散らばる人の波に目をやれば、なんと中高齢層が多いことか。催場という一つの縮図から、現実を生きる」老人たちのいっときの幸福を、垣間見たような気がした。

 絵画の残像に浸りながら歩いていると、私の横で歩幅を合わせる男性がいた。「大変な人でしたね。私も観ようとしたのですが、あの列に入って待つのが嫌なので諦めました。どうでしたか?」と話しかけてきた。髪はグレー、キャメル色のショートコートに、巻かれたマフラーは黒と茶のストライプで、いかにもダンディな人であった。

私は「確かにあの人混みですから、ゆっくり鑑賞は出来ませんでしたね。でもまた、日本で開催されるか分かりませんもの。観るだけの価値はあると思いますよ。」と答えると、彼は「そうですね。観るチャンスがあるときに、観たほうがいいですよね。」と言いながらも、美術館に戻る様子を見せず、並び歩いていた。

数歩の沈黙の後、彼はふいに「もしよかったら、これからコーヒーを飲みませんか?」と誘ってきた。私は一瞬、困惑したが「そうですね。私も飲もうと思っていたので。」と答えてしまった。「え!もしかしてこれナンパ?よりによって、セレブには見えない、いい歳をしたこの私を誘うなんて!何かよこしまな考えを持っているのでは?」と予期せぬ成り行きに、疑問が頭の中で渦巻いていた。そうは言っても、まんざらでもない女の感情がふつふつと沸き、声が上ずっていた。

2 コーヒーショップで

 テーブルに着くと彼は、「今、僕はとてもドキドキしています。なんか青春時代を思い出して。こんな気持ちを求めていたのかもしれません。」思わず私も「私もこんなことは久々ですね」と頷いた。互いに軽率な言動の言い訳をしながら、カップを持ち一瞬の照れを隠した。

 それからは、彼の告白を1時間、聞く羽目になった。

 彼は60歳で定年を迎え、その時会社から契約社員としての条件が、仕事の内容とボリュームに変わりはなく、賃金や福利厚生はダウンした雇用内容であったこと。また同職場の末席で仕事を続ける気持ちにはなれず、そのまま定年退職を迎えた。一般的に契約社員の規約は、このようなものではある。その後、関連会社に営業経験を買われて、嘱託職員として働いた。だがその会社は、親族経営のなれ合いの中での杜撰さが目に付いたあげく、無能な上司の下で、モチベーションが下がっていく自分があったので、1年足らずで辞職し今に至ったようだ。

 この話から、彼が62歳の年齢であることを知った。外見と話ぶりから、ビジネス社会で活動できるエネルギーは、十分に残存していると思われた。定年退職というピリオドを打って、再雇用とう仕事場は約束されていても、老いの区切りをつけなければならない心境は複雑である。大方の人が事象を前にして、認識できない流れに棹差しはするが、会社の示す条件内容によっては、抗う感情も湧き上がる。

 彼は訪れるこの現実を推測し、準備するステップがあったかは推し量れなかった。もしそれがあったなら、事実を諦観した上で、余力を次の行動に転換できたと思う。

 つまり彼は退職の着地点を前にして、再出発の構想が何もされていなかったといえる。だが何も考えない「無」からのスタートスタイルが、自分なりの生き方としていたかもしれないが・・・。

 この出会いの時、私は63歳の年齢であった。私も60歳で定年退職し、継続雇用で契約は1年ごと更新されていた。契約は当然ながら退職金・ベースアップはないが、管理職は継続され、職場環境に変更はなかった。そのため、定年退職後の意識改革をしないまま、いままでのような仕事姿勢を続けていた。

 だがそれは自分だけの了見であることを悟らなければならなかった。

 先鋭の企画を提案し、アクションプログラムを実行し、成果に結びつけたこともあった。だが契約管理者の仕事領域は、バトンタッチする人材に構築した計画を譲ることであった。自分が表舞台に立って、旗を振ることはタブーなのである。出張や重要会議出席の有無も、将来ある若手を先陣に行動させなければならないのが、私の責務なのである。もちろんトップが私を会社に残した意図はそこにあったと思う。

 私の中途半端なプライドが、影武者的アイデンティに、虚しさを感じていたのである。ビジネス社会の定年退職後再雇用の使用目的を自覚していない私であるといえるかもしれない。

 自分の仕事スタイルを出したいなら、会社に長居は無用である。人事は私の惑いを飛び越えて動いていくものである。

 衰えを感じれば、自ずと認識するのであるが、「まだやれる。いや、やりたい!」この引き際のない自負心は自分を見失わせていた。

 彼の話を聞きながら、その時の自分とオーバーラップさせていた。

 社会が認識する老いと、個々が認識する老いのギャップが、この年齢にクライシスを孕むことになるのではないだろうか。

3 彼の抱えるクライシス

 だが、彼の話の本命は夫婦間の問題であった。

 つまり、彼のこの行動は妻に無視される寂しさを、私に投影したかったのではないかと思われる。

 彼の話はこうであった。

 妻との生活が味気なくて。何につけても拒否した態度をとる。夫婦だけの生活になり、これからは一緒に行動する計画を立てても意思疎通がなく、勝手気儘に動いている。そのくせ、友達とどこかに行くとか、同窓会の写真を見せつけて、楽しそうに報告するのが嫌な気分であると。

 しばらく彼の話を聞いていた私は、「奥さんは今、母親の役割を終えて、自分の時間を、取り戻そうとしているのだと思いますよ。今は、夫婦で何かしたいという高齢者の年齢まで行っていないからでしょう。自分のしたいことを制約されず、行動したい一心ではないかしら?それだけお互いにお元気なのだから、鷹揚な気持ちで奥さんを眺めていたらいいではないですか?

 慣れつくした生活の延長の時間の使い方ではなく、外部の刺激でリフレッシュしたいと思っていると思いますよ。

 奥さんが離婚を望んでいるわけではないでしょう?ならば、妻に引いてもらうレールを辿るのではなく、自分なりの生き方をするには一人行動のほうがいい時もあります。この年齢になったら、夫婦の在り方も変わるのが当たり前ですし、平行線で生活していても、向かい合う時期が訪れます。まずは自分のエゴは捨てると気が楽になれますよ」。と、あたかも患者にカウセリングするかのような口調で延々と語ってしまった。

 実は数日前に、同年齢の男性スタッフに

 似たようなケースの相談を、受けたばかりであった。癒しをもとめる結果が他の女性に走り、妻とは別居中とのことであった。妻は離婚に応じず、自分の老後の行先を案じてのことであった。

 私自身も、支配力の強い夫の呪縛から、解き離れるための闘争を10年間続けて、自律することが出来た。

4 法隆寺法物館に行く

 「ごめんさない!私これから公園内にある法隆寺の法物展に行きたいので、失礼します。」すると「そんなところがあるのですか?僕も観たいな。ご一緒していいでしょうか?」一人でゆっくり鑑賞したかったが、彼の話を遮ってしまった申し訳なさから、「どうぞ!」と答えてしまった。

 館内は暗く、夥しい仏像が仄かな灯りの下で、静謐な姿で迎えてくれた。小さな仏たちに囲まれていると、仏が体内にスーと入り、心の不浄を持ち去って行く錯覚に陥った。

 彼は「いいな!この雰囲気。気持ちが引き締まりますね。仏像の力に圧倒されます」と小声で言った。この言葉を聞き、私は「豊かな感性を持っている自分に気づいて、一人行動の気楽さの楽しみを持てばいいのに・・・」と、残念に思えた。

 会場を出、私はまだ外の光に慣れずにいる目を向け「電車の時間があるので、これで失礼します。」彼は「残念だな。もう少しいてくれませんか?」

 私を誘った理由の愚問の答えを聞くこともなく、最後まで名乗りあうこともなく、公園出口で別れた。

 見知らぬ同士が、何かのきっかけで話をすれば、この年齢の抱える共通点があった、初老は、人生ひと区切りの終点と同時に、次の始発となるゆえに様々なクライシスが待ち受けている。

あとがき

 ある本に初老期は、「成し遂げたもの」から解放され「成し遂げていないもの」への思いに揺さぶられるという、人間の誰でもが抱く想いが重ねられる期間と書かれてあった。

 この言葉を借りれば、彼は妻との心の通いが、成し遂げられていなかったのであろう。その事に気づいたとき、自分の考え方を変換させることで道は見えてくる。

 変換機能をうまく作動するには、自分の生きざまが痕跡となって、そのスイッチを入れ、先の道を引く手がかりを示してくれると思う。

 親鸞が「明日ありと思う心の仇桜夜半の嵐に吹かぬものかは」と詠った。

 明日は、なにが起こるか分からないのだから、その日の思いの積み重ねが自らの歴史を作り出すと思う。

 老いの入り口に佇んだ時、生きてきた歴史が道しるべとなって、迷うことなく前に進めるのではないかと願っている。


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藤田  凛
読んでいただきまして幸せです。ありがとうございます。