藤森旅館へつづく道

長野県富士見町の小さな村に、建築家・藤森照信設計による宿がオープン予定! 2010年から始った藤森旅館プロジェクト、11年分の振り返りから現在に至るまで、 心の内と合わせて綴っています。

藤森旅館へつづく道

長野県富士見町の小さな村に、建築家・藤森照信設計による宿がオープン予定! 2010年から始った藤森旅館プロジェクト、11年分の振り返りから現在に至るまで、 心の内と合わせて綴っています。

最近の記事

13歩目 そうして富士見町へ

こんにちは、山越典子です。 noteに藤森旅館のお話しを綴っていきたいと思います。 藤森旅館(仮)とは、建築家・藤森照信の設計による宿泊施設 この企画、なんと始まりは2010年!今から12年前に遡ります。 藤森建築の魅力に取り憑かれた私は、藤森さんご本人に一世一代の告白 「藤森建築で宿を営みたい!」 なんのお返事もないまま、告白を繰り返して、3年! 「土地が決まれんば設計しましょう」 とのありがたいお言葉をいただきます。 土地探しに突入、山あり谷あり、泣いたり笑ったり、空

    • 第12歩「奇跡の土地」

       (※2019年3月ハチモットで連載した記事の加筆修正版となります) さてさて、本格的な土地探しをはじめた私ですが なかなか思う様な土地に出会いません・・・ 振り出しに戻った土地探し。 いくらでも土地はあるのに~! おおーい、希望の土地よどこにあるー? さあ!もう一度自由な目で土地という土地をみるんだ! という事で、あちこち巡る日々が再びやってきます。 少し大きくなった子供を連れまわすのもなんだし、しばらく働けなかった事で経済的にもすこし余裕が欲しい・・・。 そうと決まれば

      • 第11歩「ピンチ!土地探し難航」の巻

         (※2019年2月ハチモットで連載した記事の加筆修正版となります) 楽しかったオーストリア、そして三菱治所アルティアムでの“藤森建築と「鸛庵」”展。 旅行から帰ってきて、なんだか満タンにやる気が充電された感じ。 心はじーんと暖かいまま。  よぉ~~し、と気合いも十分なのだけど、 土地探しといっても・・・どうしようかな? ひとまず、本腰いれて土地探しを始めたい! 一人で切り盛りしていた“おいしい家” 移住者の私がたくさんの人と繋がりをつくる、という目標も 藤森さんにご飯を

        • 第10歩「ジェラシーの行き先、オーストリアへの旅」

           (※2019年1月ハチモットで連載した記事の加筆修正版となります) 藤森さんを招くために開いたといっても過言ではない「おいしい家」で藤森さんをおもてなし・・・ ついについに 「土地が決まれば設計しましょう」とのお返事をいただきました! 待ってました!もうやるしかない! さて藤森さんからサプライズにも似た嬉しいお返事をいただき、 心は天にも昇っていきます、ぴよぴよピヨヨ~。 3年にもわたる片思いは実を結び、ついに両思い!(大げさだけどそんな気持ち) やば~い!幸せ~! そ

          第9歩「おいしい家へようこそ」

           (※2018年12月ハチモットで連載した記事の加筆修正版となります)   始めたお店“おいしい家”はおかげさまで良い感じ。 毎日たのしく、毎日忙しく、日々が過ぎていきます。 茅野にもお友達や知り合いが増えて、充実した毎日を過ごしているのだけど・・・ さっぱり、藤森さんから告白の返事はないまま。 何をしに茅野にきたんだ? いい加減どこかで諦めないといけないの?・・・との思いも芽生え始めた頃。 「お店にご招待しよう」 こんな時に、いつも頼れるのは茅野市美術館学芸員の前田さん、

          第9歩「おいしい家へようこそ」

          第8歩「追っかけ入り待ち」

           (※2018年11月ハチモットで連載した記事の加筆修正版となります)   藤森建築で宿がしたい! たくさんの人に藤森建築を楽しんでもらいたい! どうか、どうか、設計してください。 と藤森さんへラブレターを手渡し、どきどきその返事を待ちます。 待って、待って、待って・・・ ん、おかしい?返事がない。   そこで私にできる次なる一手! “茅野への移住” これしかない(笑) 我ながらフットワークが軽くて驚きますが、行動あるのみ! 穂高に暮らしながらラブコールを送っててもダメだ、で

          第8歩「追っかけ入り待ち」

          第7歩 「何度も何度も」

           (※2018年10月ハチモットで連載た記事の加筆修正版となります)   長くなりましたので、簡単に振り返ると〜 高過庵に出会ったのが2004年、その魅力に取り憑かれササッと長野へ移住。 骨髄バンクのドナーになったこと、低過庵のWSに参加した事がきっかけで、 私は藤森建築で宿をやりたい!も〜それしかない! との思いを募らせ・・・ 遂に!遂に!企画書という名のラブレターを、藤森さんに手渡しました。   ラブレターの内容を簡単にまとめると、こう。 藤森建築で宿がやりたい。 たく

          第7歩 「何度も何度も」

          第6歩「告白の時」

           (※2018年9月ハチモットで連載た記事の加筆修正版となります)    前回は憧れの藤森さんにお茶を!一夜漬けお茶会のお話でした。 あまりの赤裸々ぶりに、大反響(笑) 皆さま心が広くて、どなたからもお叱りはうけませんでした。   さあ、ついに告白したいと考えた私。 空飛ぶ泥舟WSで藤森さんに親近感を覚え、そして骨髄バンクのドナーになり自分を生きる事の大切さを考えた時・・・。 人生を振り返って何か後悔するとしたら、それは藤森旅館をやろうとしなかった事。 そう、私は藤森建築で宿

          第6歩「告白の時」

          第5歩「嘘も方便、お茶会に行く」

           (※2018年8月ハチモットで連載た記事の加筆修正版となります)     いよいよ私の人生をかけた夢が見えました、そうこれ!これしかない! 私は藤森建築で宿がしたい! 骨髄バンクのドナーとなった事をきっかけに、私は私を生きるという目標がみえました。 「よ~し、やるぞ~」 と、思いつつも日々の生活へと戻っていく私。 今までと違うのは、心の中に心地よくやる気がみなぎっている事。 どうかこの火を絶やさずに生きられますように。 骨髄バンクの手術が終わり、数日がたったころ、一本の電

          第5歩「嘘も方便、お茶会に行く」

          第4歩「棺桶に入る時、私は」

          (※2018年6月ハチモットで連載た記事の加筆修正版となります)   藤森さんの追っかけとして長野県へ移住し、空飛ぶ泥舟のWSで念願の藤森さんご本人にも会うことができた私。 やったぁ!移住してきてよかったね~。   実はその泥舟WSと同じ時期に、もう一つの大きな出来事があったのです。 今日は、そのお話。   WSに参加が決まったその頃・・・「骨髄バンクのドナー候補に選ばれた」とのお知らせがありました。 東京を離れる時に思いつきで登録を済ませていたのですが、すっかり忘れて、この

          第4歩「棺桶に入る時、私は」

          第3歩「藤森さんとご対面!」

          (※2018年6月ハチモットで連載た記事の加筆修正版となります)   前回は藤森さんの追っかけとして、いよいよ長野入りしたお話でした。 さあ、今回は遂に藤森さんとご対面のお話です。   長野に移住して、私は穂高養生園で楽しく働いていました。 すこしでも高過庵の近くに・・・と思っていたのに、 日常は忙しく過ぎ去り、車に乗らなかった当時は高過庵通いもストップ。   養生園は共同生活の場でもあるため、荷物はダンボール3箱まで! 東京から厳選して持ってきた藤森さん本を拠り所に暮らして

          第3歩「藤森さんとご対面!」

          第2歩「いざ!!長野へ」

          (※2018年5月ハチモットで連載た記事の加筆修正版となります)   前回建築家・藤森照信さんの“追っかけ入り待ち”のカミングアウトを果たし、現在、藤森建築を建てるべく土地探しの真っ只中と書かせて頂いたところ、多方面より大きな反響がありました。(詳しくは「第一歩 雷に打たれた日」) 「本当に追っかけだったんだね・・・」とか「次回も楽しみにしているよ」 など、 そして 「あそこの土地はどう?」とか「土地探ししてあげるから条件教えて」とか「くわしく聞きたい」とも。 もう色々で、と

          第2歩「いざ!!長野へ」

          第1歩「雷に打たれた日」

          (※2018年4月ハチモットで連載た記事の加筆修正版となります)   建築家、藤森照信さんの“追っかけ、入りまち”藤森旅館をたてるべく奮闘中! ここに至るまでの、いろいろなお話。   私の暮らす長野県茅野市、ここは建築家・藤森照信さんの故郷。日本を代表する建築史家でありながら、その独創的な作品で国内外にファンの多い、そんな特別な建築家です。 三重県で生まれ育ち、20代をほぼ東京で過ごした私が、今、ここに暮らしている理由はただひとつ!! それは… 「藤森さんの追っかけの入り待

          第1歩「雷に打たれた日」