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神仏習合の面影 Vol.1−熱田神宮
先日、お茶の全国大会があり名古屋に参りました。その際、熱田神宮にも行ってきました。熱田神宮は、三種の神器のひとつ「草薙の剣」「天叢雲剣」(あめのむらくものつるぎ)をご神体としている由緒ある大神宮です。
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何かおかしいと思いませんでしたか?
熱田神宮の参道の手水舎の横にあるひときわ大きな大楠
みなさん手を合わせ写真を撮っています。
見つけたら幸運が舞い降りるという蛇が住んでいる
(と言われている)あの素晴らしい大楠!
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弘法大師 お手植えの楠
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弘法大師は皆さんご存じの真言宗の開祖 空海さまの事です。
なんでお坊さんが神社に?何の関係があるのでしょうか?
あれ?おかしい? 変だとおもいませんでしたか?
その昔、熱田神宮の中には神宮寺がありました。
弘仁2年(811)に嵯峨天皇の第二皇子だった仁明天皇の
勅命によって弘法大師(空海)がお寺を作ったのです。
楠木はその時のモノだったのかも知れませんね!
熱田神宮の中にあったそのお寺の名は
「亀頭山 神宮寺」
当時の面影を描いた『尾張名所図会』には、境内の中に
多宝塔や五重塔、不動院、愛染院、医王院、鐘楼なども
あった事が確認出来ます。
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これらの内容を詳しく説明してあるのが、下記
今はなき 熱田神宮の寺 亀頭山 神宮寺
名古屋歴史ワンダーランド 伊藤正博氏
のページです。リンクを張っておきますので、詳しくはこちらを参照してください。地図入りで、経緯などもとても分かりやすく説明してくれています。https://nagoya-town.info/bunnka/atu~jinguuji/atu~jinguuji.html#top
本地垂迹(神仏習合)の江戸までの
春日大神宮について考察してみましょう
熱田神宮(大宮)のご祭神は熱田大神(草薙剣)です。
その[配祀のご祭神(現在)]・と江戸時代までの本地仏は
天照皇大神・ 大日如来
建速素盞嗚尊・ 阿閦如来
日本武尊・ 宝生如来
宮簀媛命・ 阿弥陀如来
建稲種命・ 釈迦如来
別宮 八剣宮のご祭神は新造宝剣ですが、
江戸時代までは八剣大菩薩と呼ばれ本地仏は不動明王でした
摂社の高座結御子神社は、江戸時代まで高蔵宮と呼ばれ
現在のご祭神は高倉下命、昔の本地仏は毘沙門天
摂社の日割御子神社は、江戸時代まで日破宮と呼ばれ
現在のご祭神は天忍穂耳尊、昔の本地仏は地蔵菩薩
摂社の氷上姉子神社は、江戸時代まで氷上宮と呼ばれ
現在のご祭神は宮簀媛命、昔の本地仏は正観音菩薩
摂社の上知我麻神社(源大夫社)は昔まで源大夫と呼ばれ
現在のご祭神は乎止与命、昔の本地仏は文殊菩薩
摂社の下知我麻神社(紀大夫社)は昔まで紀大夫と呼ばれ
現在のご祭神は真敷刀婢命、昔の本地仏は十一面観音
摂社の青衾神社は、江戸時代まで青衾社と呼ばれ
現在のご祭神は天道日女命、昔の本地仏は千手観音
末社の大幸田神社は江戸時代まで大福田社と呼ばれ
現在のご祭神は宇迦之御魂神、昔の本地仏は虚空蔵菩薩
これらの記録は以下のURLに非常に詳しく記載されています
http://www.lares.dti.ne.jp/hisadome/honji/files/ATSUTA.html
熱田神宮は、三種の神器を祀る皇室ゆかりのとても格式の高い神社であり、織田信長が篤く信仰した神社であり、現宮司家の千秋家は織田家臣から熱田神社の宮司職を授かった名家でもあります。
しかし、熱田神宮内には昔、神宮寺があったことがどこにも記載されていません。
https://www.atsutajingu.or.jp/jingu/about/
そして平安の頃から明治の神仏判然令がでるまでの神仏習合の美しい本来の姿が故意に隠されているようにしか思えません。
神仏習合の時代1300年
神仏分離からすでに150年
昔の姿に立ち返る事が出来なくても永年の伝統を知ることは大事な事ではないでしょうか。
最近は宇佐神宮&宇佐市や八坂神社さんが神仏習合時代の面影を取り戻そうとしてくれています。
https://www.yasaka-jinja.or.jp/about/history/
わたしも今後、神仏習合の面影を追っていきたいと思います!よろしくお願い致します!
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