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給食を食べる時に、ちょっと感慨深くなった話。

僕がJICA海外協力隊として配属されている公立の小学校では、毎日給食が提供されている。

「給食」と言っても、日本でイメージするような立派な物ではない。

日本の給食は、食材の旬の時期や栄養バランス等も考慮された上、児童生徒の「食育」も兼ねた素晴らしい昼食システムだ。

そして、毎月発行される「給食だより」に記載された献立通り、毎日違うメニューを楽しむことができる。


一方、ルワンダの給食は、基本的に毎日同じ物だ。

それが、“主食”となる物に“豆のスープ”をぶっかけたやつ。

コレ


この“主食”の部分には多少のバリエーションがあり、日によって米、カウンガ、ウガリ、サツマイモ、キャッサバのうちのどれかになる。

米やサツマイモはまだしも、“カウンガ”“ウガリ”と言われても、どんな食べ物なのか想像に難いかもしれない。

これは、何というか…簡単に言うと穀物の粉を水でこねた物である。

詳しくは以前Instagramの方で紹介しているので、そちらを見ていただきたい。

【カウンガ】


【ウガリ】


ちなみに、ここ最近の“主食”はカウンガであることが多く、月〜金の5日間のうち、実に4日がコレだ。

その出現率は昨年から見ても、通算で約70%にのぼる。


そして“主食”の上にぶっかけられている“豆のスープ”は、本当に毎日同じである。

トマトベースで、具として豆、キャベツが入っている。

あ、あと結構な頻度で小石が入っている。



さて、この記事の本題は、僕の毎日食べている給食メニューの紹介ではなく、給食時間にまつわる、心が生暖かくなるエピソード…

それが


「私のフォーク使っていいよ」事件



だ。

もはやタイトルだけで内容の90%くらいは予想できてしまうワケだが、一応詳細を説明しておきたい。

僕の配属先の学校では、子どもたちは子どもたち、先生たちは先生たち、それぞれ別々の場所、別々のタイミングで給食を食べることになっている。

先に子どもたちを食べさせ、全員に給食が渡ったことを確認した後で先生たちも食べ始める。

そして、先生たちは自分で好きな量を皿に乗せるというシステムだ。

以前は、僕は学校にある食器を使わせてもらっていたのだが、どういうわけか最近フォークやスプーンの類は使わせてもらえなくなった(皿は使える)。

その理由は、謎。

この状況下で、僕の目の前にある選択肢は4つ。

① 手で食べる
② 誰かからフォークを借りて食べる
③ 自宅からフォークを持参して食べる
④ 食べない


実際、④以外はすべてやってみたことがある。

現に普段から手で食べている先生や子どもたちもいる。

ただ…僕は手で食べるのではなく、普通にフォーク使いたい。

ということで、順当にいけば③がベストアンサーな気がするのだが、現在は②に落ち着いている。

② 誰かからフォークを借りて食べる


この「誰か」とは、今までは先生のうちの誰かだった。

しかし、最近は子どもたちから借りることが多い。

もちろん、子どもたちがさっきまで使っていたフォークだ。

ちなみに、子どもたちはフォークをズボンのポケットや筆入れに入れて、学校に持って来ている。

「現地の子どもが使ったフォークを使うなんて…!」

潔癖思考な人は、そんな風に感じるかもしれないが、1年以上ルワンダで(言い方は悪いけど)小汚い子どもたちに囲まれていると、そんなこと別にどうでも良くなる。

子どもたち全員がフォークを持って来ているわけではないので、何人かに聞くわけだ。


「フォーク、欲シイ。」

「フォーク、よこせ。」



僕としては「ちょ、ごめん。フォーク貸してもらってもいいかな?」くらいのニュアンスで話しかけているつもりなのだが、僕のキニアルワンダ語レベルが雑魚過ぎて、おそらく子どもたちにはこんな感じで伝わっている気がする。

それでも、優しい子どもたちは僕の意図を汲み取って、快くフォークを貸してくれるのだ。




そんなことで、先日もフォークを借りようと6年生の教室に突入して、いつも通り要求をストレートに伝えた。


「フォーク、欲シイ。」


しかし、その時は子どもたちも給食を食べている最中で、まだフォークを使っていた。

「わーお、これはタイミングを見誤ったかな」

と思ったのだが、一人の子どもが

「私のフォーク使っていいよ」


と言って、今まさに使用中のフォークを差し出してきた。

「え?」

さすがに今まさに自分が使っているフォークを、こんなぶっきらぼうにお願いしてくる日本人に渡したりはしないだろうと思い、

「いやいや、お前ぇさん今使ってるじゃないの(笑)」

的な感じで返答すると、

「いや、私は手で食べるからいいよ」


と。


いや、

え…?

いいヤツ過ぎるて、お前ぇさん。



ということで、僕が勝手に「サラマンダー」と呼んでいるその女の子は、僕にフォークを渡し、自身は手を使って再び給食を食べ始めたのだった。

嫌な顔一つせず。

むしろ嬉しそうな表情を浮かべて。






アフリカで生活していると、道行く日本人にいきなり「Give me money!!」と言ってくる子どもたちが、大勢いる。

でも、困っている日本人に快く「Take my fork!!」と言ってくれる子どもたちも、たくさんいる。

普段子どもたちと関わっていると、鬱陶しいなと思うこともあるし、小汚いなと思うこともあるし、面倒くさいなと思うこともある。

それでも、ふとした瞬間にこういう純粋な優しさを垣間見ると、「この子たちのために何かしてあげたい」とも思う。

そして、思いがけず「人としての在り方」みたいなものを、子どもたちから学ぶことがある。

何か見返りを求めるわけでもなく、困っている人がいれば自然と手を差し伸べることができる。相手が喜んでくれる様子を見ると、自分も嬉しくなるから行動できる。その行為を「やってあげる」という感覚でなく、自分が「やりたい」という気持ちで体現できる。そういう心の余裕をもった「Giver」に、僕もなりたいと思う。




なんか良い話っぽい感じで終わろうとしてるけど、シンプルに「フォーク持参しろよ」って話なんだけどね。

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