映画『アメリカンユートピア』は大人計画の舞台である
ずいぶん昔、大人計画主宰の松尾スズキ氏が「デイヴィッド・バーンが好きなんです」とインタビューで答えていた。え?どうしてなんだろう?とずっと引っかかっていた。
もちろん彼のバンドのトーキング・ヘッズの音楽が単純に好きでも良い。そのインタビューは好きな音楽の話だったから。僕だってトーキング・ヘッズは好きだ。デイヴィッド・バーンは退廃的で皮肉的な歌詞を書くし、歌声に人を食ったような悪意をもたせることも自在である。単純に面白い曲が多い。だからつい聞き流してしまいそうなちょっとした話なのだが、しかしなにしろあの松尾スズキである。なにかそこには秘められた意味があったのではないかとつい勘ぐってしまう。
昨年、映画『アメリカンユートピア』が面白いよと聞いて、かつてトーキングヘッズのドキュメンタリー『ストップ・メイキング・センス』に感動したことを思い出した。そして劇場に足を運んだ。そのままデイヴィッド・バーンの舞台でありコンサートだった。足を運んできてくれてありがとう、家を出るのも大変だよねとデイヴィッド・バーン直々に優しく言われているような映画だった。
素晴らしかった。もう一度確認するが、ただのデイヴィッド・バーンのコンサートである。それをただ映像化しただけである。『ストップ・メイキング・センス』と同じである。でもいかに彼のステージが完璧なアートであるかを見せつけられる。予期せぬ感情が、感動がここにある。
それでもこれはただ劇場でマジックにかかっているだけの作品なのではないかと疑っていたのだ。気が付くとAmazonプライムビデオに置いてあったので、改めて再生してみた。このあいだフジロックもあったし今は音楽を体感していたい気分で、音楽ビデオを何度も見返すような感覚で再生した。
やはり素晴らしかった。ただの音楽プロモーション映像ではないのだ。劇場の音響ではなく家で見ても明確にそれを超える彼のアートパフォーマンスである。彼の音楽ではなく彼そのものをみせてくれる。
ここでひとつ気が付いた。この寸劇なアクション、パフォーマンスが、まるで大人計画の舞台のように滑稽で律儀である。冒頭のインタビューと結びついた。デイヴィッド・バーンがまるで松尾スズキのように見えてくる。どこか皮肉的で醒めた目線の裏にはただただ純粋な情熱が見え隠れする。僕の好きなパフォーマーと同じ香りがプンプンする。それらは共通して、孤独で、律儀で、何かを言いたいのだ。ああ、好き。ひねくれ者の心を浄化させてくれるこういう“文脈育成装置”が大好きなのだ。大人ってなんだろう。友達ってなんだろう。人間ってなんだろう。そのものである。
ただの音楽プロモーションではないと書いたけれど、もちろん音楽が素晴らしいからこの作品は成り立っている。ていうかコンサートだしな。未見の方はぜひAmazonプライムビデオで体験してください。損はしないよ!