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元不登校の弟と私の”自分らしい”道 【大学生、通信制高校、不登校、うつ】

私は県外の大学に進学し、一人暮らしをしています。定期的に実家に帰るのですが、毎回弟には驚かせられます。

だっていい子なんです。

まるで悪い子だったみたいな言い方ですが、そういうことではなくて、穏やかでかわいらしくなったなと思うんです。母に帰えるたび言ってしまいます「いい子だね、そんでおもろい」、母は「そうおもしろい子なのよ」といつも返してきます。

1.弟が不登校になった背景

 弟は中学一年生の頃から不登校です。完全にいかなくなったのは中学2,3年以降ぐらいだったと思います。

 小学校の時は、生徒会長を務めるぐらい優等生でした。自由気ままとかマイペースだと通信簿に書かれる私とは違って弟の通信簿には、「しっかりしている」「真面目だ」という言葉が並んでいました。しかし、自分がからかわれるとカッとなるところもありました。そして、中学一年生の夏休み明け、宿題が終わっていないといって学校を休み始めました。そこから家族の関係も悪くなっていきました。

 今思うと弟の実際と周りの評価がずれていたのかなと思います。確かに礼儀正しいけれど、弟はもとからそんなカチッとしたタイプではないです。

 弟が大人っぽくて、優秀な好青年にあこがれをもっているのと、周りの声に少し弱かったのかなと思います。弟は、純粋で言われたことや周りが良いとされていることを疑わずにのんでしまうところがありました。閉鎖的な田舎で、父や父方の祖父母は固くて古いところがあります。自分に常識として備わった考えと自分の感情がちぐはぐだったのだろうなと思います。

2.今の弟

 現在は通信制の高校に通い、土日はアルバイトに行っています。アルバイトは欠かさずいっていますし、定期的にあるスクーリングも都会の方に出なければいけないのにしっかりこなしています。

 私や母とも話すこともあまりなかったのですが、今は笑顔で話をしています。アルバイトで自由に使えるお金も出来たので趣味も充実させて楽しそうにしています。

 私は今、大学の春休みで実家に帰省しているんですが、弟に「アルセウス(ポケモンの最新のソフト)してる?」と聞くと、「え!してた。もう全クリしたよ。貸してあげる。」と嬉しそうに話して、まさかゲームも貸してくれました。昔、姉弟話せば相手に当たるという感じだったので自分に何か貸してくれるだけで私はものすごく感動してしまいます。

 今の生活が弟にとてもあっているみたいで、生き生きとしています。

 そんな風に弟がなったのは、私が進学した後なので、私にはそんな楽しそうな弟の印象があまりありません。なので、帰省するたび驚いてしまいます。

3.自分らしく生きる

 自分らしくいれたり、無理をしない環境を手に入れたら人は変わるし、楽しそうに過ごせるんだなと弟をみて感じました。
 
 自分らしくいれず無理をしなければいけない環境は人をここまで苦しめるんだなとも感じました。今の弟を見ると幼稚園の頃を思い出すんです。ちょっと視点が変わってて、おもしろくて素直なのが弟だったなと思い出します。

 公立の学校というのは、たまたま同じ地域で同じ年に生まれた人が集められます。学生である限り、勉強が出来ることが良いとされます。集団行動が出来ることがよいとされます。

 ただランダムに集められた人が集まっている場所で息苦しかったり、上手くやれなくてもいいと思うんです。自分にあった場所を模索すれば、いいんじゃないかなと思います。

そういった学校以外の道をラフに進めたらいいのになと思います。
 
 「通信制にいって、バイトしてお金貯めて色んなところに旅行に行きたいんだよね。」みたいに進学について決めていいと思うんです。

 「将来どうするの?そんなんじゃ就職出来ないよ。」ということは言わなくていいんじゃないかなって思うんです。

 自分とちぐはぐで、無理をしなくてはいけない環境でずっとはやっていけないし、すごく苦しみます。

” 学生や未成年の子供支えているのは、親や保護する機関・施設などで、ずっと子供でいれる訳では無い。ちゃんとひとり立ちをしなければならない。だから、将来のことは大切でしっかり考えなければならない。
 安定したものを、しっかりとした目標を。”

その通りなんですが、外から見て安定した進路がその人にとって安定したものだとは限りません。本人がそれを苦しく感じるのならあっという間に不安定な道になります。ストレスをすごく感じたり、らしくやれないと思う道ではいつか耐えきれなくなる日がきます。

 私は、中学校の頃から行きたい大学を決めていました。テスト期間土日は13時間は勉強するようにしていました。負担をかけないように国公立大学を志望。弟もいるし、今は不登校だけれど、何かやりたいことが出来るかもしれないその時私の学費が足かせになってはいけない。弟は、今きっと父や親戚には”問題児”や”失敗”の烙印が押されている。私も”失敗”したら?家族はどうなってしまうんだろう。失敗は許されない。

 家の空気は最悪だ私だけでも気丈にしなくては、笑顔のない家にどうにか笑顔を。私が倒れてはいけない、勉強も頑張らなきゃ。絶対、国公立の大学に受からなくては。私だけでも”安定”した道に。そう自分の体に鞭をうちつづけていたら、どう頑張っても頑張れなくなっていました、死にたくなっていました、何も考えられなくなりました。

現在、私は学費の高い私立大学に進学しました。特に偏差値も高くないです。所謂”安定”した道ではなくなったかもしれないです。父も祖父母もあまり納得はしていません。でも、高校の頃より自分らしく生きられて楽しいんです。

 弟は、通信制高校で、今のところ将来の目標は特にないです。でも、優等生で学校に通っていたころより、弟は楽しそうで穏やかにすごしています。それによって今まで、「わからない、別に将来なんてどうでもいい」と言っていたのに、ぼちぼち新しいこともしてみたいと言っています。

自分が辛く苦しい道に進まないというのは、逃げでもなんでもないです。むしろナイス判断だと思います。皆が進んでいる道が安定した道ではないです。

 今思えば、私は国公立に行きたくもなかったし、学歴にも興味がなかったです。私がそのままの道を進んでたら、ずっと周りの意見にとらわれている人になって、ずっと人の顔色を窺って、自分がもっとよくわからなくなって、多分死んでたなと思うんです。こんな道を”安定した道”とは言わないと思うんです。                                 弟もそうです。無理やり学校に行かされつづけたり、学校に行く以外の道を選べなかったら弟もどうなっていたかわかりません。


自分らしくいれる道が真の安定した道だと思います。そういう道では、どんな崖も壁も超えていけます。




追記 そんな道を選ばさせてくれた両親に感謝です。


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