やりたいことがない人はタスク管理してみるといいかも
最近、「好きなことさえ見つかれば全てが解決する」という思い込みからようやく開放された気がする。
集中できなかったり、なかなか取りかかれずに時間を無駄にしてしまったりするのは、ひとえに目の前の仕事がそんなに好きじゃないからだと思っていた。
もっと好きで夢中になれる仕事が世の中にはあって、それさえ見つかれば、一日10時間以上集中し続け、没頭し続けることができる。あらゆる苦難も乗り越えていける、みたいな感じに思っていた。
でもどうやらそうではないらしい。
必要なのは、自分に合ったタスク管理だった。
時間に余裕があってもタスク管理が必要な理由
でも、自分に必要なのが、まさかタスク管理だとは思っていなかった。
タスク管理っていうのは、仕事が忙しくて、時間がない人のために必要なものだと思っていた。
自分はどちらかというと、時間がないというよりも、もっと頑張れるはずなのにがんばれていない、といった、時間はあるのだけれど有効活用できていない不完全燃焼感を感じていた。
そこそこ好きなことを仕事にできているし、苦手なことを手伝ってくれる人もいる。
時間も精神的余裕もあるはずなのに、それを使い切ることができていない感覚。
だから自分は、「もっと夢中になれること」に出会えていないんだ、と思っていた。だからそういうのを積極的に探すことに時間を使っていた。
しかし最近、ピースがはまったように、自分が今やりたいこと、今やるべきことに、ちゃんと時間を使えているという実感が得られるようになった。
これは、何か「これだ!」という、やりたいことがみつかったとかそういうわけではない。
タスク管理がうまくいきはじめた結果、「今」やりたいことに、ちゃんと時間とエネルギーを使えるようになった。
「今」やりたいことにちゃんと時間を使うと、それが形になっていく。やりたいことが形になると、その結果を元に、もっとおもしろいことを思いついたり、他の人がおもしろいことを持ってきてくれたりする。
その好循環がまわりはじめた。
自分はエネルギーがない、めんどくさがり屋だ、と思っていたんだけど、実はそうではなくて、エネルギーを行動やアウトプットに使えていなかった、ということがわかってきた。
毎日細かく沢山のタスクをこなすことにした
具体的にどのようなタスク管理の仕方がハマったかというと、
「毎日着実にひとつずつ、少ない量のタスクをこなしていく」
という方針から、
「やりたいこと全部、一日数分でもいいからできるだけ沢山手をつける」
という方針に変えたところ、色々な歯車が噛み合った感覚がある。
自分は思考が色んなところに散りやすい。ひとつのことに集中できず、すぐに脱線してしまう。だから
今日はこのタスクを絶対片付けるんだ!
と意気込むと、取り掛かるまでにまず何時間もかかり、いざ取り掛かっても、脱線(休憩)を何度も繰り返してしまう。
その脱線した先が、漫画アプリだったりTwitterでふとみかけたゴシップ記事だったりゲームだったりすると、そこから戻ってくるのに30分とか1時間とかかかる。それの積み重ねで一日の中で「休憩・脱線」の時間が増えて、結果としてやりたいことに割く時間が減る。
これを
「やりたいと思ったことは、とにかく一日数分でもいいから、できるだけ沢山手をつける」
という方針に切り替えた。
文章を書くのに疲れたら片付けをする。片付けも終わらせようとしない。ちょっと机の上のものを数個片付けて飽きたら、今度は読みたかった本を読む。さっきの文章ではなく、また別の文章を書く。
「やりたいこと」の休憩に別の「やりたいこと」をやるような感じ。
タスク管理でやるべきことを管理し、細かく様々なタスクを切り替えられるように仕組みをつくったところ、一日中この繰り返しで、「やりたいこと」「やろうとおもってたこと」に時間を使うことができるようになっていた。
つまり自分は、何か大きなやりたいことがひとつ見つかれば全ては解決すると思っていたんだけれどそうではなかった。
というか、すでに自分には、やりたいことが沢山あったのだった。
それらをぜんぶ、やればよかったのだ。
自分はやりたいことがないのだと思っていたのだがそうではなく、やりたいことをほとんどやっていなかったのだ。
もちろん、そういったタスク管理のやり方が合わない人もいるだろう。ひとつひとつのタスクを丁寧にこなしていく方が心地いい人だっているはずだ。
私のパートナーは料理が好きで黙々と一日中、youtubeを聴きながらクッキーやパンを焼き続けているが、同じことをしていても全く飽きない、むしろそれが楽しいらしい。自分がそれをやれと言われたら地獄でしかない。
人それぞれ、「やりたいこと」と、「それをどれくらいの粒度でこなしていくのか」の好みは千差万別なのだ。
重要なのは、自分に合った最適なリズムで、やりたいことを切り替えられる仕組みを構築することなのではないか。