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私がいけばな教室を立ち上げるまで

日本の文化である「いけばな」

いけばなには、とても素晴らしい魅力がたくさんあります。

私も長年いけばなを経験し、さらに人生が豊かになりました。

ここでは、私が「いけばな教室」を立ち上げるきっかけになったエピソードをお話してみようと思います。


♦いけばなとの出会いは、私が母のお腹にいたときから始まっていた

私がまだ母のお腹にいたとき、もうすでに、母は草月流いけばなの師範として指導をしていました。

母は地元のいけばな教室に通い、いけばなを学びます。

さらに、勉強のため、東京の教室に通いながら師範を取得しました。

その後、自宅教室、小学校のいけばなサークルの指導、ビルの一部屋を借りてのいけばな教室、行事のいけこみ活動など。

とても忙しく指導をしていた記憶があります。

また、小学校から貢献した人として感謝状を頂いていました。

生徒さんがいつも行き来し、ご近所さんがいつもお茶を飲みにくる、そんなにぎやかな家で私は育ちました。

♦やっといけばなを始めた中学生時代

私の家の玄関には、生徒さんへの見本用としていつも欠かさずお花がいけてありました。

私がいけばなを学び始めたのは中学3年生のときです。

私はそれまで絵を描くことが好きすぎて、当たり前のようにいつもいけてあるお花には興味がなかったのです。

自分がいけばなを学ぶなんて思わなかった私ですが、学校から帰ってくると玄関には豪華ないけばな作品が飾られているのですから、目に入らないわけがありません。

中学3年生になり、受験勉強に追いつめられる日々。

いつしか、母のいけばな作品を見ることが、私の癒しになっていることに気づき始めた頃でもありました。

ある日、勉強に疲れた私が母のいけばな作品をぼーっと眺めていると、

「ねぇ、やっぱり分かる?このいけ方素敵でしょう?」
と、母がにこにこと嬉しそうに作品の説明を始めました。

「へぇー。そうなんだ。だからこの形なんだ。」

母と一緒にいけばなについて熱く語っている自分が、なんだか不思議でした。

今思えば、このときからいけばなというものに興味を持ち始めていたのかもしれません。

まだ、このときはいけばなは習っていませんでしたが、自宅教室の生徒さんとはお茶を飲んだり、楽しくおしゃべりをしたりしていました。

ある日、生徒さんから言われました。

「〇〇ちゃんも一緒にいけばなやろうよ。やらないなんて絶対もったいないよ。」
この一声がきっかけとなり、中学3年生から一緒に参加することになりました。

♦いけばなを通して親先生の偉大さに気づく

いけばなでは、初めていけばなを指導してくれる先生のことを「親先生」と呼びます。

そうなると立場上、私の母が私にとっての「親先生」となります。

呼び方は親先生とは言わず「先生」と生徒さんは呼んでいました。

もちろん私もいけばなのときは生徒なので、少し恥ずかしいですが母のことを先生と呼んでいました。

他の生徒さんに混ざっていけばなを習い始めた私ですが、そこで初めて母とは違う親先生の偉大さに気づくことになります。

母の明るい性格や社交性はいつもと変わりませんが、教える姿勢がとても美しいのです。

生徒さんに対する言葉使い、いけ方を直すときの手直し、すべてにおいて柔らかく、優しく丁寧でした。

以前私は、母から聞いたことがありました。

「昔いけばなを教えてもらっていたとき、先生がとても厳しくて、どんどんつまらなくなってしまったの。だから私は、生徒さんには優しく接したい。いけばなは本来楽しいものなのだから。」

その母の自分自身の経験が、今の親先生を作り上げたのだと分りました。

その母の美しい指導姿勢をみているうちに、この頃から私も母のような「いけばなの先生になりたい!」と強く思うようになりました。

私の母に対する気持ちも、いつしか一人の母親から尊敬する親先生に変化していきました。

そして、15歳から27歳までいけばなを本格的に学びました。

基本を学び終わり雅号を取得して、師範になるためにさらにいけばなを学びました。

とても長いように感じますが、私にとっては本当にあっという間でした。

母が主催していた花展に何度も出させて頂いたり、生徒さんがやっている絵や手芸品の展覧会とコラボレーションしたりと本当に楽しく学ぶことができました。

♦会社員から自営業の道へ

会社員のときは、もちろん副業は禁止でした。

「いけばな教室をやりたい」と思ってもできずにいました。

そんな私も27歳の時に結婚することになりました。

この時の私は結婚後も、この働いていた過酷な労働条件の会社に居続けることは全く考えていませんでした。

結婚を機に潔く退職して、自分のいけばな教室を立ち上げようと思ったのです。

♦自営業はやることがたくさん

当時はまだ、ペーパーレスの時代ではなかったため、集客も自分でチラシを作り、自分の足で何日もかけてポスティング。

生徒用としてのテキスト、お貸しする花器や道具もすべて取り寄せ、テーブル椅子も用意しました。

市場から直接仕入れした新鮮なお花を使うことを条件に、お花屋さんと契約を結び、配達してもらうことに。

慣れないホームページ制作にとまどいながらも、約1ヶ月かけて、自分で勉強して作成しました。

また、ブログもこのホームページとリンクさせました。

本当に、やることはたくさん。

準備はとても大変だけれど、夢があり本当に楽しい日々でした。

♦いけばな教室の立ち上げ

私は自宅の2階の部屋を教室にすることに決定しました。

今後もし、子育てが入ってしまった場合、他の場所では不便だと思っていたからなのです。

私は手広く経営しようとはしていなくて、あくまでも小さなサロンのような居心地の良い教室でのいけばな指導でしたので、自宅教室が一番あっているような気がしたのです。

でも、駐車場には車が2台しかおけないので、曜日ごとの少人数制にすることにしました。

本来自宅教室は、私生活部分と教室部分をキッチリと分けなくてはいけないのでかなり気を使います。

幸い、私の家は玄関から直接2階に上がれる階段があるので、あまり気にせずに使うことが出来ました。

こうして、3ヶ月ほどかけて、いけばな教室を無事に立ち上げることになったのです。

♦素敵な生徒さんとの出会い

この小さないけばな教室で、私はたくさんの素敵な生徒さんと出会いと別れを繰り返してきました。

皆さん、素敵な人生観を持っていらっしゃる方ばかりで、私もそんな生徒さんの生き方に学ぶこともたくさんありました。

このいけばな教室を立ち上げていなかったら、もしかしたら、私が一生出会うこともなかった方々かもしれません。

そう思うと、本当に奇跡的な出会いをしたのだと思っています。

本当にいけばな教室を立ち上げて良かったと思っています。

そして、この「いけばな」という素晴らしい日本の文化に出会わせてくれた心優しい亡き母に、そして私の信頼なる親先生に心から感謝をしています。








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