解けるのに、答えを写すその心は。~答えを写す①~
#20240915-463
2024年9月15日(日)
「おい、これ、おかしくねえか」
台所で夕飯を作っていると、背後でむーくん(夫)の声がした。
振り返ると、ノコ(娘小5)がうつむいたまま、かたまっている。
ノコの手元には学習塾の問題集が広げてある。1日1ページ、3分を目標に解く計算問題だ。ノコは後まわししてしまい、数日分がたまっていた。
「分数の約分でしょ。できているはずだよ」
私は野菜を切る手を止め、振り返る。
低学年のうちは親が丸つけをしていたが、高学年に入ってからは自分で丸つけをしている。だが、大きな花丸がほしいらしく、解く度に全問正解だと誇らしげに持ってきては花丸をねだっていた。
約分の問題がはじまった当初は、少々手こずり、何度かそばについて教えたが、その後は「わからない」と嘆くことはない。赤丸が並んだ紙面を私は見ている。
「でも、この問題、見てみろよ。一度で正解にたどりつけるはずないだろ」
問題は徐々に難易度があがっていく。最初は1回公約数で割れば済んだ問題も日数が進むにつれ、2回せねば難しい問題が混じりはじめていた。計算の得意な人ならともかく、まだ約分初心者が解けるとは思えない。ノコを「信じる/信じない」ではなく、不自然なのだ。
むーくんが指差したいくつかの問題に私は目を落とし、台所に戻った。
今は「父と娘」の時間だ。
それが事実だとしても、ここでノコに言葉を掛けるのはむーくんの役目だ。
私が口を挟んでしまうと、たちまち「親対子」、「2対1」になってしまう。
「正しい/正しくない」という問題だけでなく、ノコを追い詰めてしまう。
「これはおかしい」
むーくんが厳しい声を出した。
フライパンを出して火をつけようとすると、足音もなくノコが私の背後に立ち、エプロンを引っ張った。
視線が左右に揺れ、ためらいがちに私を見上げる。
「ママ、答え写しちゃった」
「写しちゃったんだ」
私は静かにノコの言葉を繰り返した。
「わからなかったら、教えるよ。勉強は間違えてもいいんだから。答えを写してたら、いつまでも解き方はわからないよ」
写していたのなら、ただひっそり写して自分で丸つけをしていればいいものをなぜノコは毎回私に大きな花丸を求めてきたのだろう。
写したことの罪悪感だろうか。
花丸をつけるときに、私に写していることに気付いてほしかったのだろうか。
写す行為を咎めてほしかったのだろうか。
「ママは全問正解が続いていたから、ノコさんは約分が得意なのだと思っていたよ」
ノコは深くうつむいた。表情が見えない。
「写した答えに花丸もらって嬉しかった?」
大きく頭を振った。
ノコの声がよみがえる。
――どうしたらパパとママは満足するの。
知らずのうちにノコに全問正解するようプレッシャーを与えていたのだろうか。
全問正解だからといって特に褒めることはない。ただノコが「褒めて褒めて」と求めてくれば、大いに褒めていた。間違えたからといって責めることもない。理解していないのだと思って、もう一度教えるだけだ。
計算を解く面倒くささから答えを写したのか。
それとも、褒めてもらいたくて答えを写したのか。
問うてもまだノコは自分の心を解きほぐすことができない。
そのことがあってから、ノコは3分計算問題に取り組む度に、私を呼ぶ。
「ママママ、見てて。ここにいて」
隣の席にいることを私に強いる。私はノコが解くあいだ、じっと見守っていなければならない。
問題の難易度があがったので解けないのかと思ったが、見ていると、ノコは計算が遅い私より容易にスルスルと解いていく。
解けないからではなく、ただ解くのが面倒で答えを写したのだろうか。
自力で解けるのに、私に見ていることをノコは望む。
ノコが求めていたのは「見守る」目だったのだろうか。
1ページに10分かかっていたが、みるみるうちに早くなり、3分で解けるようになった。ためたページを続けて解く集中力はないので、あいまに気分転換になるようなちょっとした遊びを挟む。
今日は私が小学校の頃に流行った両腕が勝手にふんわりと上がる遊びをした。
1人が両腕を横に上げようとするのをもう1人が下に引っ張って上げさせない。それを1分ほど維持したのちに、手を離すと、両腕がふわあああと持ち上がるというものだ。
「やああああああ、嘘おおおおお。なんでー! 次、ママにやってあげる!」
ノコがけたけたと笑った。
3ページ解くのに、かれこれ1時間はノコのそばを離れられない。