子どもがいるだけで。~父のこと⑥~
#20241102-488
2024年11月2日(土)
子どもはすごい。
むーくん(夫)が休日なのでノコ(娘小5)をまかせ、私は入院している父の見舞いに行った。
前回より父は衰弱していた。
食欲がないという。顔の皮膚がたるみ、皺が深くなっていた。食べないから痩せたのか、食べないということはつまり口を動かさないため、顔の筋肉が落ちたのかはわからない。ずっと祖母似だと思っていたが、見下ろした父は祖父にそっくりで驚く。
つけたままのTV――個室(無菌室)にいるためイヤホンが不要――からはバラエティー番組の喋り声がたれ流れてくる。賑やかさを越え、耳に障る。だが、父はしんとした静けさよりよいのだという。
「だーいじょーぶかーい?」
私はしゃがんで父のパジャマの裾をめくると、膝下を確認する。赤い斑点だった内出血はつながり、赤紫色に染まっている。襟元を覗く。首元、胸元はぱらぱらと出ている。
「なぁにするんだ」
体のあちこちを点検する私に父がだるそうにいう。
「確認、確認。大事なパパの確認しなくちゃ」
父は私のなすがまま。じっとしている。
もともと父は延命処置は不要で、痛いのだけは嫌だといっていた。今日は治療をいつまで続けるか、父の希望は具体的にどうなのか尋ねようと思っていたが、あまりにもどんより沈んでいるのでいいだせない。
まばたきさえゆっくりだ。
「だるくてなぁ。だるくてたまらん」
そういうと、父はベッドに横たわった。点滴のチューブがあるため、じわりじわりと身を横たえる。
「どこか痛かったりするの?」
「それは、ない」
あぁ、痛くないのならよかった。
「いくらでも寝れる」
父はゆっくりと目を閉じた。私は父の額を撫でまわし、眉間に刻まれた縦皺を開く。
母は父の手をとると、両手で包み込み何度も何度もさする。
ここ連日、母は片道1時間半、往復3時間かけて父の見舞いに通っている。家にいても父のことが気になるため、それならたった20分の面会でも父の顔を見たほうが気が晴れるという。
ただ母も77歳だ。心配と疲労が表情を重くしている。
空をじっと見つめる父がなにを考えているのか、わからない。倦怠感に放心しているのか、いいたいことを探しているのか。
「おととい、ハロウィンだったんだけどね」
私はノコが習い事先でハロウィン用のお菓子を友だちに配った話をした。
配りたがるものの、お化けやカボチャのジャック・オ・ランタンが描かれたパッケージのチョコやクッキーを10人分の小さな手提げ袋に詰め込むのは私だ。
ノコはいそいそとそれらを手に習い事へ向かった。
数時間後。自宅最寄りのバス停までむーくんが迎えに出た。
帰宅したノコは「ただいま」もいわず、居間の床にドッとうつ伏せに倒れた。
「どうしたんだろう。習い事先で嫌なことに合ったのかと心配して、むーくんを見たらね、笑ってるの」
父は静かに目を閉じた。
病人にノコの話をするのは、適切なのかわからない。
ノコは父を「じぃじ」と呼ぶが、里子であるため血のつながりはない。委託5年目、しかも新型コロナウイルスの流行で人との接触を控えていた数年間があるため、父とノコが会った回数は少ない。それでも会う度に、父はなんやかんやとノコの相手をしてくれた。父がノコのことを実際どう思っているか、私は知らない。
聞いているものとして、私は話を続けた。
「バスから下りた途端、ハッとして『パパ、バス追いかけて!』って叫んだんだって」
ノコは習い事先で友だちからハロウィンのお菓子をもらった。嬉しくて大事に手に持っていたが、それを見事にバスに忘れてきたという。
「ノコさん、お菓子大好きっ子だからさ、もうしょんぼり。でもね、そんな大切なものでさえ忘れるのだから、水筒を忘れるなっていっても無理だと思ったよ」
ノコは今年に入ってから2回水筒をバスに忘れている。バスの営業所は我が家からは不便な場所にあり、その度にむーくんが引き取りに行っていた。
「翌日営業所に電話したら無事あってね。昨日むーくんが取りに行ったら、もう大ハシャギよ」
父の口角がすうとあがった。声こそ出ないが、ふっふっふというように笑う。
私は調子に乗り、ノコの話を1つ2つとした。
父はそれにもおかしそうに笑った。
病室を出て、家路につく前に母と病院付属のカフェへひと息つきに向かう。
「パパちゃん、笑ったね」
母が泣きそうな顔で笑った。
「昨日も、おとといもね、ニコリともしなかったのよ」
子どものやらかしは、ときに腹立たしさと紙一重だが、パワフルで、「一時」がまるで「一生」分かのように貴重で、濃くて、「生」の凝縮だ。
「うん、笑ったね」
私も目頭が熱くなり、視界がちょっぴりゆがむ。
子どもってすごい。
その場にいないのに、父を笑わせる。笑う力をくれる。「生」をわけてくれる。
大人にはできない。
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