「見てるよ日記」――その後。
#20230909-223
2023年9月9日(土)
2021年5月――ノコ(娘小4)が2年生だった春から2022年の夏まで、A5サイズのノート15冊にノコ宛ての手紙を書いていた。
ノコは「私はスゴイ」「私はえらい」「私は1番」と強気に出ることもあれば、「私は何もできない」「下手くそだ」「バカだ」「ダメだ」「いても意味がない」と嘆くこともある。白と黒だけで灰色がないというか、100か0だけで50がないというか、両極端なことをよくいう。
自分を「スゴイ!」「完璧!」「えらい!」といっているものの、そんなノコを一歩引いてよく見ると、自信のなさの裏返しであることに気付く。自分を盛り上げ、周りに褒めたたえてもらうことで自分を肯定している。自分自身の力でやりきった、頑張ったと努力とその過程と結果を心身の内側からあふれでる満足感によって自分を認めているのとは違う。
どうしたらノコの日々の頑張りが決して無駄ではないことが伝わるのか考えた結果、誕生したノートだ。
インターネットで見かけた自分で自己肯定感をあげる手助けになる「褒め日記」なるものを参考にした。
私のノートは「褒め日記」ではなく、「見てるよ日記」と命名した。
ノコの頑張りをママは気付いていることを伝える。
過剰にノコを褒めない。「スゴイ」「えらい」という言葉は使わない。
ノコのことを「大切」「大好き」「ママの宝物」という言葉は積極的に書く。
否定的な言葉、小言は書かない。
毎日毎日、書いた。
ノコは喜び、このノートをママからの「お手紙ノート」と呼んだ。
出だしに「ノコちゃんへ」とあるのでそう思ったのかもしれない。ノコからの返事はなく、一方通行のお便りだった。
大抵ノコが学校に行っている間、もしくは習い事の待機時間に書くのだが、怒って「行ってきます」の一言もなく乱暴に玄関ドアを閉めて登校した朝は、私も腹のなかでノコへの悪態が渦巻き、筆が進まないこともあった。
頑張っていること、よかったことを書きたいのに、ちっとも浮かばないのだ。
小言ならたんまり書けるのに!
それでも、なんとかひねり出し、毎日毎日書いた。
書き続けられたのは、ノコが時折ノートを広げて読み返している姿を目にしていたからだ。ノコは頬をゆるませ、にんまりにんまりしながらノートをめくっていた。
途切れたのは、昨年――2022年、ノコが小学3年生の夏休み。
新型コロナウイルスにノコが感染した。自宅待機期間が明けたその翌日に今度はむーくん(夫)が発症した。とにもかくにも家族そろって家から出られない状態が続いた。
落ち着いてノートに向かう時間もなかったし、外出できない状態にノコもストレスがたまり、不安定になった。甘えと癇癪が交互にやってきて、むーくんもいたからなんとか乗り切った感じだった。
私の意気込みも下がってしまった。
再開する力がわかなかった。
振り返ると、「見てるよ日記」を書いていた頃のノコは自分を卑下する物言いが少なかったように感じる。
じんわり、じんわりとノコの支えになっていたのかもしれない。
もちろんノコの心の波は「見てるよ日記」だけではかれず、複合的な要素がたくさん関係している。
近頃のノコはさまざまなことに「ヤダ」といい、やりたがらない。
その理由は「面倒くさい」一辺倒だが、手間をかけることをただ嫌っているとは限らない。
そろそろ「見てるよ日記」を再開すべきだろうか。
ノコの「ヤダ」が増えると、どうしてもこちらもお小言が増え、改めてできていることを伝えそびれてしまう。
習い事の待機時間によく百円均一ショップをさまよう。
最近の百均は時代の流行も反映していて、便利なもの、売れているもの、注目されているものがすぐに安価な商品となり棚に並ぶ。眺めているだけでもおもしろい。
「親子で交換ノート」という商品を見付けた。
普通のノートに書いてもよさそうだが、フォーマットがあるだけで書くことが固定され、楽になる場合もある。親子での交換日記のスタイルで、私が書いていた一方通行の「見てるよ日記」とは異なる。
ノコは書く手間を惜しむかもしれないが、一方通行はどうしても気持ちが下がる。
返事という見返りを期待せず、ただただノコへ言葉を注ぐことにも意味があったが、続けることも大切だ。
交換日記ならば、ノコが書かなければ、私の書く順番は来ない。
以前のようにまだ書けていないのに、「ママ、まだ?」と催促される頻度も少なくなる。
ノコ次第のところが大きいので、続くかどうか心配だが、それはしばらく様子を見よう。
私が書くルールは「見てるよ日記」と同じだ。
ノコに「あなたを見てるよ」と伝える姿勢は変わらない。
あなたの頑張りをママは知っているし、応援しているし、でもどんなあなたも大好きよ。
親子日記なので、時折むーくんも参加させよう。
書くのを苦手とするむーくんだが、そのむーくんが書けば、ふふふ、ノコの喜びもひとしおだろう!