「すぐ」子どもの心に寄り添えるようになれたら。
#20240217-358
2024年2月17日(土)
習い事からの帰り道。
友だちと一緒のときはおくびにも出さなかったのに、私と二人きりになった途端、ノコ(娘小4)がつぶやいた。
「忘れましたっていったら、先生がぶとうとした」
ノコはレッスンに必要なものを忘れた。
教室に着いてすぐに気付いたが、私が取りに帰り、届けるとなると、時間も交通費もかかる。なくてもなんとかなる。私とて待機時間にしたいこと用意した上で、家を出るまでの時間を動いている。それらができないのは厳しい。
ノコも小学4年生だ。
学校や習い事の準備、忘れた場合の対処は自分でしてほしい。
そうはいっても、暴力は見逃せない。
「ぶとうとしたって?」
大仰にならないよう、平らな声でノコに問う。
「こういうふうに」
ノコが片手を大きく振りかぶった。そして、野球のピッチャーがボールを投げるかのように腕をまわした。
「ブンッてした」
ノコが忘れたものはなくてもなんとかなるが、レッスンに必要なものではある。
今、在籍しているクラスは小学4年生までゆえ、ノコは最上級学年だ。先生としては、下級生を引っ張る学年として、お手本となる振る舞いを求めているところが強い。
ノコが真似た先生の大げさな動きを見ると、注意しながらも「もうッ! 4年生なんだからそんな大切なもの、忘れないでよッ!」というふざけた印象もある。
ただそれが同年の友だちではなく、ノコより長身で、子どもにとって罰することがありうる立場である先生がしたことで意味が変わってくる。ノコの日常には、大人がそんな悪ふざけのような態度を取ることがない。
ノコは私たちが知る限り、暴力的な虐待は受けていない。
私もむーくん(夫)もからかいやおふざけ、振りであってもそういった行為はしない。むしろノコのほうが遊びであっても、怒りであっても私たちをぶってくる。
そうであっても、手が届く範囲で不用意に腕を挙げると――伸びや高いところにある物に手を伸ばす、髪をさわるであっても――脅えることがノコはある。ぶたれたことがないはずなのに、だ。
「・・・・・・怖かった」
ノコが探るような目で私を見る。
「怖かったんだね。手は当たらなかった?」
「ぶつかるかと思った」
私は自転車にまたがりながら、ノコにかける言葉を考える。
「ノコさんが怖かったことを伝えたほうがいい?」
「わかんない」
わかんない、か。
この習い事の難しいところは、先生と直接やりとりをする場が極端に少ないことだ。連絡はWebサイトのフォーム経由で本部とする。指導する先生とのトラブルを避けるためだろうが、顔を見てやりとりしたほうが誤解が少ない場合もある。レッスン前に先生に声をかける手立てもあるが、ほかの保護者や子どもたちに聞かれたくない内容のときは困る。
「ママが決めて」
本部を通して指摘されれば、先生も前向きに受け取るか怪しい。批難されたと思うだろう。ノコのことを「面倒くさい厄介な児童」と認識されたくはない。
ノコを第一に考えれば、ノコの恐怖を伝えるべきなのだろう。
ただ、今はちょうど発表会に向けてポジションを決める時期だ。
先生には心に掛かるものなく、まっすぐノコを見てほしい。
ノコの努力がむくわれてほしい。
はじめにノコが話してくれたときに、まずはぎゅうと抱き締めればよかった。
「それは怖かったねぇ。びっくりしたねぇ」
そういえばよかった。
そうすれば、ノコの気持ちはおさまったかもしれない。
つい、身構えてしまい、冷静にノコから状況を聞きださねばと思ってしまった。
こういうとき、パッと感情に寄り添える人がうらやましい。
さぁて、どうしよう。