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歳月は突如降ってくる。

#20250112-507

2025年1月12日(日)
 ノコ(娘小5)の習い事の拠点が今日で閉鎖する。
 全国展開している習い事なので、ほかにも拠点はある。
 来週から少し遠い拠点に移籍だ。同じクラスのメンバーもほぼ全員同じ拠点に移る。

 小学1年生からの5年間、通い続けた拠点だった。
 我が家から通いやすい場所だったので、閉鎖は悲しい。
 ノコより下の学年でも1人で電車に乗って通う子どもがいるなか、ノコは「怖い」といい、私かむーくん(夫)の同行を求めた。
 「怖い」といわれたら、「1人で行け」とはいえない。
 それに確かに道中なにもないとはいえない。

 親がついている子どもがノコ1人になると、ノコの気持ちも揺れはじめた。
 「1人で行ってみる
 5年生の2学期から1人で通う練習をはじめた。
 声のやりとりができるGPSを持たせ、電車やバスに乗る度に連絡を入れさせた。下車するバス停を間違えて、半べそになったこともある。ほかの子どもが自販機でジュースを買えば、水筒があるのに買いたくなった。「買っていい?」「ダメです」を繰り返した挙句、「〇時のバスに乗るからッ!」と怒鳴ってきたこともある。
 ちょうど私の父が末期がんだとわかり、入院先の病院や実家へ行くことが増えた。
 もしノコが1人で習い事に通わないままだったら、私はノコが小学校にいるあいだに病院や実家へ行き、ノコの下校時刻に合わせて帰宅して、そのまま習い事に同行せねばならなかった。
 息つく暇もない。
 たまたまだったが、ノコが1人で通う時期と父の病状がわかった時期が重なり、おおいに助かった。

 4年生まではレッスンが土、日曜日だった。
 平日は学校、週末は習い事と休日のない暮らしに悩んだこともある。子どもには「なにもない時間」も必要だと思っていたからだ。なにもない時間は、なにかに熱中する時間にもつながる。
 私は子どもの頃から「ひとり時間」を必要だった。
 今でもそうだが、私には「暇」という概念がない。
 なにかしらしたいことがあり、やらねばならないことがあり、せっせこ動いている。
 忙しないかといえば、その「したいこと」には、ぼんやり窓から差し込む光の加減を見つめるのも、冬になると盛んにさえずる鳥の声に耳を傾けるのも、そして昼寝も含まれている。
 だが、ノコは幼い頃から施設育ちで子どもがたくさんいる環境だったせいか、「ひとり時間」を持て余してしまう。「つまんない」を連呼し、「ママママ、遊んで」となる。
 むーくんは暦通りの勤務でないため、週末も勤務が多い。
 私1人ではノコが喜ぶ遊びにつきあう体力はない。そうかといって、毎週末、外出するのもしんどい。
 この体を使う習い事は、ノコのあふれる体力の発散にもなった。
 食事支度をはじめ、家事を前倒しすれば、習い事の待機時間が私の「ひとり時間」となる。

 習い事の拠点まわりを私は開拓した。
 居心地よく、長居できるカフェやイートインのあるパン屋。川沿いの遊歩道を運動がてらウォーキング。図書館にもこもった。
 夏の強い陽射しのなか、日傘をさして「とける、とける」とつぶやきながら歩いた。
 キンと冷たい空気のなか、河川敷の霜のおりた草を踏みながら母と長電話をした。
 よく、まぁ、5年間。
 ノコを送迎し、待機したものだと思った。
 習い事をはじめるまで知らなかった街がいつしかよく知る街になった。
 拠点の閉鎖を聞いて、まずこみあげてきたのは、ノコのことではなかった。
 私やむーくん、送迎し待機する親側の大変さだった。

 今日、よく長居したカフェに行った。
 レッスン前にノコとランチを食べることにしたのだ。
 「ママママ、私、これにするから、ママはこれにして」
 ノコはパスタを指差してから、ガパオライスを示した。添えられたベトナムの海老せんべいが狙いだ。
 昼近くになるつれ、店が混みあってきた。
 パスタが運ばれてくると、ノコはぺろりとたいらげた。
 私はそんなノコの姿に目をみはる。
 ――長いこと、お子様セットだったのに。
 4年生になると、1人前を食べたがるようになったが、なかなか完食できなかった。日によっては、半分も食べられなかった。
 それが、今や口のまわりをトマトソースに染めながら、あっという間に食べ切った

 ノコの成長を目の当たりにして、私は面食らった。
 突如、5年という歳月が降ってきた

 「もしまだ食べられるのなら、今日で最後だし、デザートもいいわよ」
 目を輝かせてノコはケーキを選んだ。
 パスタ1人前にデザートまで。
 ここにこそ、5年というノコの歳月があった

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森谷はち🐝里母&子育て&読み聞かせ
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